ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

バスの日

 9月20日には東京都のシルバーパスの書き換えがあります。随分中途半端な日ですよねぇ。月末でもないし。なんでこんな日に、しかも一斉に書き換えなんだろうかと、不思議でしょうがなかったんですが、この日がなんと「バスの日」なんだそうです。で、なんでこんな日がバスの日なの?といったら、京都で最初のバス会社が認可された日だとウィキペディアが仰っておいでです。それが明治36年のことで、翌年早くも破綻。
 で、東京都のシルバーパスなんですが、なんでも「一般社団法人東京バス協会が、東京都の高齢者の社会参加を助長し、高齢者の福祉の向上を図るため、70歳以上の都内に住民登録をされている方に、『東京都シルバーパス』を発行」しているんであって、東京都交通局がやっているわけではないというのです。で、この費用を東京都が負担しているので、音喜多君という小池百合子に操られてしまった若手都議会議員がそれを負担している若者から見るとおかしいんだと言い続けています。う〜む、爺さん婆さんが歩けるんだったら歩け!とも仰っているんですが、だったら鉄道の駅の上り下りをもっと楽にして下さいよぉ〜!それがキツいから爺さん婆さんはバスに頼るんですよ。ま、住民税が非課税だと年間千円で良いです、というのはかなり優遇かも知れませんね。しかし、それで外に出る気になるんですから、介護予防の策としてはかなり有効じゃないか、という気がしないでもありません。これを廃止して、爺さん婆さんが、出かけなくなり、要介護が増えたとすると、それがどっちが負担が大きくなるのか、という想定までして語るのが議会の役割じゃないか、という気がします。f:id:nsw2072:20180920170303j:plain:w360:right
 そのためにも高齢社会が来るからというわけではなかったのですが、古くから都が独自の長寿研究所を持っていたのは大変に先見の明があって、素晴らしいことだと私は思っていました。本来的には国がこうしたlongitudinal study(え〜っと日本語で何というんでしたっけ?追跡調査と違う?)を時間をかけて行うことが将来を作ると思っていました。2009年に、当時の風潮に押されて、独立行政法人にしてしまいましたが、これは明らかに間違いでしたね。こういう研究活動で儲けることがたやすいわけがないのですよ。研究なんですから。この辺を理解できない、というところが近頃のなんちゃって政治屋のダメなところといって良いんじゃないですかね。大阪の橋下徹にしても、吉村なんとかにしても、東京の小池百合子にしても、はたまた安倍晋三麻生太郎にしても、こういう肝心なところがわかっていない。
 都立大を首都大東京なんてことにしたのも大間違いでしたが、とかく石原慎太郎都知事時代にやったことの大半は大間違いばかりです。それは今の安倍晋三政権と全く同様でございます。安倍晋三というか、阿呆晋三の場合は国民が直接選んでおりませんが、石原慎太郎の場合は都民が直接選んでおりますから、都民が大馬鹿だ!ということになるわけで、自民党支持者は大馬鹿の誹りを免れないわけです。選挙に行かない連中も彼らと同罪でございます。
 これがこの国の先行きが儚いという根拠でございます。

トニー・ベネット

f:id:nsw2072:20180920125152j:plain:w360:left ひょんなことで気がついたんだけれど、Tony BennettとDiana Krollのいわゆるデュエット盤が出ました。トニー・ベネットのデュエット盤といったら、Lady Gagaとのデュエット盤が珠玉の出来でございましたよね。おかげで、彼らのライブまで見に行っちゃいました。
 しかし、この組み合わせに今でも挑戦するという意欲が凄いですね。多分これもプロデュースしたのは息子なんじゃないですかね?と思ってAmazonで検索してみたら、案の定Dae Bennettの名前が出てきました。Amazonで見ると、輸入盤は出ているし、アナログ版、つまりレコードも出ているし、日本版に至ってはボーナストラックはついているわ、DVDはついているものだから2,900円するわ、様々で、これは迷いますよねぇ。それでも私はボーナストラックなしのmp3にしようと思っています。なんでか?もうこれ以上ものを増やしたくないからです・・・といいながら机の上はぐちゃぐちゃ。
 デビューしたばかりの頃のDiana Krollはとっても新鮮でよろしうございました。しっかりと受け止めておりましたが、大変に残念なことに彼女がエルビス・コステロと結婚以降は、なんだか気取りっぱなしになってしまって、放り出してしまいました。彼女を選んだのは、多分以前に「Duet」だったかで一度一緒に唄っているということもあるのでしょうけれど、今や間違いなく、女性ヴォーカルの売れっ子だからに相違ないでしょうね。選曲はジョージ・ガーシュインものだっていうんです。そうか、「S'Wonderful」もガーシュインだったのか!?というありさまですが。
 ちなみに日本盤のDVDはたぶんYouTubeで見ることができる、あれなんでしょうね。

家族

 家族という概念は何を持ってそれに相当するとするのか、これは非常に政治的な概念だといってしまって良いような気がしてきた。家族の最低単位は夫婦だろうか。じゃ、同性愛者の場合はどう解釈するのか。じゃ、相方と死別・離別した人はひとりでも家族だろうか。ひとり親と子どもの場合はもちろん家族だよね?例えば、天涯孤独の存在であっても、それは家族っていうんじゃないのか。拡大再生産されようがされまいが家族は家族であって、それを「生産性がある」とか「生産性がない」とかいうのは、余計なことであって、それはお前の知ったことじゃないんだよ。
 なんだか急に腹が立ってきて、杉田水脈を怒鳴りつけたくなってきた。何をわけしりな顔をしていってんだっての。お前がいっていることは明らかに無知蒙昧なことなのである。何が国会議員だ。この国は確実に没落する。

 今豪州東部では、お店で売っている苺や、バナナ、リンゴなんかに針を仕込む犯罪者がいて疑心暗鬼に陥っていて、苺農家はこれによってめっきり売り上げが減少してしまい、苺の始末に頭を悩ましているという事態。
 そういえば日本でもかつて、こんな犯罪に手を染めた輩が出たことを想い出させる。この種の犯罪はなかなか外からわからないので、困惑する。非常に卑怯なやり方で、「苺は必ず半分に切ってから食べましょう」とキャンペーンしているけれど、普通リンゴだってがぶりといくのが普通の文化にあって、そんなに丁寧な食べ方をしないから危ないことこの上ない。

丸善

 昨日、日本橋丸善に寄る。

「改憲」の論点 (集英社新書)

「改憲」の論点 (集英社新書)

 講談社現代新書か、朝日新書が出しそうなタイトルで、よもや集英社新書だとは思いませんでした。新潮じゃないだけ、それらしいかも知れませんが。木村草太、山口次郎の名前で判断。私自身は全く改憲が必要だとは思っていませんし、自衛隊は明らかに日本国憲法に違反した存在であって、防衛省は防災省と名を変え、自衛隊は防災隊にするべきだと思っております。じゃ、外国から攻め込まれたらどうするのか、という問いに対してはいつも、そんなことは起こりえないと答えております。300年前にはありましたが、この時代にそんなことを起こし得る国家、あるいは民族は存在しません。私たちはそれを憲法に謳うことで、各国に表明し、存在していこうという文明国家なのですから。逆にどんどん軍拡競争をすることによって防衛力が増すんだとしたら、それはいつの日にか大きな破綻を国民に強いることになります。それこそ国民を守らない、国家になり果てます。 今頃、なんで野坂昭如なのか、という大きな疑問を手にしてしまうのかも知れませんが、やっぱり野坂も(かなり変な男でしたけれど)私の青春時代のひとりの記憶しておくべき人間なのかなぁと思ったんです。 近頃、小池百合子のように、あの震災の時に朝鮮人の人たちが襲いかかってくる、毒を水に入れる、というデマを飛ばして、何人も民間レベルで殺してしまった、あの忌まわしい事件をなかったことにしようとする連中がいるものだから、腹が立っている。自国民、自民族が犯した罪をなかったことにすることほど卑怯千万なことはないわけで、それを自治体の首長だったり、国の首相だったりが、むやみと否定することは本当に恥ずかしく思うべきでしょう。歴史修正主義という表現は間違っていて、彼らは歴史改竄主義者と呼ぶべきだと思っています。 正直いって、こんなに分厚い本だとは思いませんでした。加藤陽子の本は必ず切り口が鋭いので、手にしようと思うのですが、分厚い本は年寄りには結構辛いものがあります。そんなに先はないのだ。2011年に刊行された原本そのままに、その後判明した今上天皇の退位を受けて百枚近く補筆をしたんだそうで、ますます分厚くなったというわけ。

オルガンコンサート

f:id:nsw2072:20180920013317j:plain:w360:left 昨日は歌の会の伴奏でお世話になっている方のオルガンが聴けるというので、井の頭線の池之上に行ってきました。池之上といえば、私が中学2年生の時だったか、数学を教えてもらいにある方のお宅へ毎週伺っていたことがあります。何しろそれは60年くらい昔のことですから、もはや、駅からどう歩いて行ったのか、全く記憶がありません。当時は連立二次方程式のあたりの頃で、それほど難しかったわけではないのですが、なぜか教えてもらいに行ったのです。今から考えてみたら、英語に没頭していた高校一年生くらいの頃に、そういうチャンスが必要だったわけですが、多分それは無理だったんだろうと思います。というのも、通学に往復2時間はかかっていたはずで、平日は週のうち三日間は2時間を英語に費やしていたからです。ま、今だったらもっと詰め込んだのでしょう。
 池ノ上の駅は全く変わっていました。踏切はそのままですが、改札口が上になっていました。池之上は渋谷から三つ目です。神泉、駒場東大前、そして池之上ですが、この各駅には確実にトイレがあります。しかも、それが車両の駅表示に、いちいち表示されています。高齢者向け路線なのでしょうか?(笑)
 朝方の雲の割に、予報通りに青空になったら、案の定、陽射しはなかなかで、演奏が始まってしまった教会の椅子に座ると、汗が伝ってきました。
 前半は欧州の曲でしたが、後半はご自身のエレクトーンの先生だったと仰る柏木玲子さんの曲をご自身が編曲されたという曲、そして最後が、ご自身が編曲された日本の秋の歌メドレーでした。このメドレーが珠玉の出来で、遊び心も充分に表出された、正に感動を呼び起こすような編曲でした。今度お目にかかったら、絶賛しなくては。それもそのはずで、彼女は作曲科のご出身です。
 日本橋まで出てきて、あとは都営交通で帰宅。