ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

葬儀ミサ

 5日は友人の奥様の葬儀ミサだった。お二人はカトリックの信者で、だからというわけで四谷のカトリック教会でのミサに与った。享年、なんと57歳。あまりにも早い旅立ちだった。
 で、いろいろ考えさせられた時間だったのだが、人間は遅かれ早かれ確実に旅立つ。誰も例外がなく旅立つ。どんなことをしても旅立つ。で、どうせなら悪いことに手を染めずに旅立ちたい。それでなくても、後悔の念を残した出来事がたくさんある。馬齢を重ねると気がつかないウチに犯している後悔を伴う出来事を引き起こす結果となる。だから長生きをしない方が良いんだってわけではなくて、どうしてもそういうことになってしまうんだって事を覚悟しなくちゃならんということだ。
 そんなことを考えさせて戴く時間を貰ったという意味でも、あのミサに与ったことは大いに感謝したいと思う。
 しかし、残念だったのは、「カトリックで受洗した人たちだけ」への聖体拝領だった。受洗は受洗だと思うんだけれどなぁ。

練習会

 来月に迫った「カンターレナッチィーノ」の発表会に向けて、自主練習会が始まりました。今月中になんと6回も練習をしようという大騒ぎになっております。これまで月に二回ですから、3倍の練習量です。会場のかかりのおじさんも、皆さん力が入ってますねぇ、もうあの会場の空いている日がないですよ!と仰っておいででございました。
 で、自主練習第一回目ですが、トレーナーの先生も来られて、声出しから始まりました。私が唄うのは「さらばナポリ Addio a Napole」と「Amazing Grace」の二曲ですが、これまでナポリばっかり気になって、Amazing Graceはピアノの伴奏で歌ったことがありません。半音下げで唄おうかとも思ったのですが、トレーナーの先生もピアノの伴奏者も、譜面通りのキーで歌って、繰り返しを転調してあげて唄えば良い、とかいっちゃって、結局それで唄ってみたら、なぜか、うちで練習するよりも出るんですよ。その上、トレーナーの先生の説明は「あなたの声は前に出るんだから、その一番上のところで、斜め45度に引いてご覧なさい」ッてんです。わかりますか?これで?わからないですよねぇ〜!?ところが不思議なことに唄っていると、あぁ、なるほど、こういうことなのか、というのがわかっちゃうんですよ。そうできちゃうの!不思議ですよねぇ。
 この先生はとてもユニークな経歴を持っているテノールの方で、音大の出身じゃないんですから、凄い。それでいて、理論的なことも、物理的なことも、そして感覚的なこともどんどん繰り出してこられます。とてもお若い方なんですが、とっても面白いです。この歳になって、こんなチャンスに恵まれるとは思いませんでした。
 これまでポップは唄ってきましたけれど、こんな分野、一度はまともに向き合って見たかったんです。人生長生きした方が良いな、やっぱり。

受け入れない

 労働者が足りないから外国人労働者を受け入れるけど、5年で帰って貰うの?そんな簡単にいくと思うの?一旦受け入れるということはその人達がこの国に移民してくるということを覚悟しないとダメでしょ?だって、働いて貰うということは、それだけの条件を要求するんでしょ?例えば言葉がしゃべれてコミュニケートできるようになって欲しいし、日本人の労働者と同じように働いて貰うわけでしょ?
 自分が外国へ働きに行くという前提で考えて見ましょう。あ、いや、昔のことを想い出すだけでいい。日本人は米国へかなりの人数が出稼ぎに行きましたね。最初は「故郷へ錦を飾る」ためにいった。だからそれで帰ってきた人たちもいるけれど、そのまま米国に暮らし、現地で生まれた子どもがアメリカ籍を必然的に持ったからそのまま暮らしました。
 同じように日本に外国人労働者がきてくれたら、当然、金を稼いで帰ろうとする人たちもいるだろうし、そのまま家族を構成する人たちもいるはずですよ。だから、全ての人たちが日本に根を下ろして暮らすことになるかも知れないということを前提にして政策をデザインしていかなくてはならないのです。
 昨日今日思いついたような政策をそのままあっという間に国会に持ち出すなんて、バカ丸出しです。
 そんな状態で無理矢理外国人をなし崩しに受け入れるのではどうせロクなことになりません。外国人の労働者を入れないとやっていけない産業はもう諦めたらどうです?どんどん労働人口が減るというのは、それだけ人口が保たれるような政策をやってこなかったということでございます。わかっていたのに手をこまねいていたということでございます。しょうがないんです、こういうのを自業自得というのです。
 新しい家族を構成しやすい世の中にしてこなかったのですから。市場(しじょう)も小さく、労働人口も少なく、それでも成り立つ社会に覚悟をしなくちゃなランのですね。しょうがないもの。

音楽の泉

 NHK第一ラジオの日曜日の大長寿番組ですが、解説は皆川達夫という人がずっとやってます、私の知る限り。それでも三代目の解説者にあたるのだそうで、1988年からだそうです。その前に「バロック音楽の楽しみ」という番組をNHK-FMでやっていました。
 私、実はこの先生の授業を受けたことがあります。(多分この話もここでの百回噺でしょう)。1969年に大学の教授になったとありますから、その時はまだ助教授だったのではないかと思います。大学だというのに担任制があって、固定教室があった一般教養時代に、私たち新入生の担任がこの人だったのです。確か、入学してすぐの固定教室での授業があったときに「私が担任です」といわれたことは覚えていますが、その後は「音楽」の授業(多分必修だった)で、ロンド形式とは何か、みたいなことを聞かされ、4号館4階のグランド・ピアノと大きなスピーカーのステレオがある大教室でレコードを聴かせて戴いただけです。で、音楽を聴きながら本なんぞを読んでいると、この先生、後ろからそーっと近づいてきて、その本を取り上げてしまいます。で、授業の最後に「今日はこんな本を戴きました。ちょうど読みたいと思っていた本です、ありがとう」と見せしめにします。挙げ句にこの授業は個人カードを提出していくのですが、友達のカードを一緒にバサッと出すと「ちょっと待ちなさい!」と呼び止めて、枚数と人数を厳しくチェックします。いつもダブルのスーツを着て、オールバックの髪の毛で、あたかも西洋人ではないかと思うような高い鼻をひくつかせているオシャレ先生の割には随分細かいね、といっておりました。
 実は、私が所属していた音楽系のサークルはこの先生が顧問となって登録されておりました。設立時にオリジナル・メンバーの皆さんがお願いに行かれたそうです。だから、当時の定期演奏会のプログラムを見ると、この先生のお言葉が掲載されています。しかし、直接お話をさせて戴いた記憶は全くありません。「私はコンパは嫌いじゃありません」と仰っていましたが、一度もおいでになったことはございません。ま、私たちがやるようなこ汚い鮨屋の二回のコンパでは来られても困ります。
 定年になってから、学校の図書館の一角に先生が寄贈されたクラッシックのCDがぎっしりつまった棚ができたのを覚えていますが、今はどうなっているでしょう。

ひどいこと

f:id:nsw2072:20181103194754j:plain:w360:left ひどいことをしたもんだ。よその人たちが貧しいながらも平穏に暮らしていたところへ、いうことを聞けといって無理矢理入っていった。俺たちの方がすぐれた国家民族なんだから、一緒にしてくれることを嬉しく思えといって、言葉を押しつけた。お前達の言語を使うんじゃない、といって。こっちのえらい人を敬えといって無理矢理お辞儀をさせた。無理矢理やらされたお辞儀はただの形式でしかないけれど、それを見て、自分たちが優位に立っているんだと思い込んだわけだ。
 植民地と宗主国との関係は、親と子なんだと解説して良いことのように喧伝したが、実は無理矢理いうことを聞かせるという封建的な親子関係だ。そんなやり方を今になって正当化しようとするとは卑怯千万だよ。植民地というかたちにしないで、傀儡国家を作っちゃうなんて方法まで繰り出した。どれもこれもフィクションの世界では面白おかしく語ってもかまやしないが、これはみんな事実だからね。
 本当にひどいことをしてきた。「良いこともあったじゃないか!」といい方の陰には「たくさんのひどいことがあった」という事実が隠れている。で、その「ひどいこと」の方がめったやたらと分量は多いし、人の命が絡まっている。無理が絡まっていて、強制がつきまとう。「自分からそうした奴だっていたじゃないか」の陰には圧倒的な「強制」が隠れている。
 それはあの地域だけなのかといったら、内陸のあそこも、半島も、奥地もあって、島々も含まれている。今になって正当化するわけにもいかないから、それは「嘘だ」といって否定する。
 これだけひどいことをしたんだから、いつまでも謝らなくてはならない。借金ではないので、返したら終わり、なわけではない。謝ることをやめるということは史実を無視するということになる。ひどいことをしてしまったんだから、その責任は未来永劫に消えない。その辺の下らん自民党員の失言撤回じゃないんだから、「大臣を辞めたら、はい、終わり」ではない。私がやったんではないから謝らない、というのであれば、国民を止めなくてはならない。ドイツ人は未来永劫、ユダヤ人虐殺と共に暮らしていかなくてはならないし、ロシア人はスターリンによる虐殺を歴史から消すことはできない。しかも他国も同じように、これらの史実を無視したり、知らん顔をしてはならないし、共に人類の過ちとして忘れてはいけない。ドイツ人がやったことだからといって、アメリカ人は知らん顔をしてはならないし、日本人がやったことだからといって戦時捕虜への虐待、虐殺をロシア人が知らない顔はしてはいけないし、ロシア人が日本人をシベリアで強制労働させたことをイギリス人が知らない顔をしてはいけない。人間が如何に愚かなことをしでかすのかということを常に頭に置いておかなくてはならない。
 また、アメリカ人が南太平洋の人々を強制移住させて行った核兵器実験を日本人は忘れてはならないし、日本人が沖縄の人たちを盾にして、連合軍の本土上陸を阻止したことも人類は忘れてはならない。
 そして最も重要なことは、多くの人々がそうした史実を曲げようとする傾向にあるという人間の醜い欠点を持っているということを認識することだ。
 ドナルド・トランプは米国人だけが優秀で他国民と共に生きる気はないと宣言する。米国で史上最低な大統領である。そして彼を真似る愚かな連中が出てくる。マレーシアのマハティール・ビン・モハマドやドイツのアンゲラ・メルケルを失うと、人類は史上最低の局面に陥ってしまう。安倍晋三は実に恥ずかしい。

半世紀

 百回噺
 親しくして戴いているピアニストがアメリカに渡ってから今年で半世紀が経った。あっという間の半世紀だった。その間にみんな随分変わった。病気もした。家族も変化した。ここのところ彼は年に一回帰ってくる。するといつも同じところでおつきあいのある方達が集まって彼のピアノを楽しむ会をする。美味しいご飯を戴いて、二時間ほど彼がピアノを弾く。
f:id:nsw2072:20181104001308j:plain:w360:right 昨日は女性の歌い手が四人登場して唄った。往年のポップ歌手がジャズを唄ったらこれが珠玉の出来で、さすがプロは違うなぁと舌を巻いた。弟子入りしたいくらいだが、入会金一万円月に一時間のレッスンが二回で二万円は、やっぱりかなりな投資だろうなぁ。今の13人のグループレッスン、月二回で3,500円は驚くほど安いのがわかる。
 半世紀前に渡米するときに彼を支援した方に46年ぶりにお逢いすることができた。もう80歳を超えておられるという。クラッシック歌手のプロモーターで知られた方で、知る人ぞ知る。
 先輩のおひとりと、久しぶりに痛飲。

全体主義

 すでに『テロ等準備罪』が成立しています。これは怖い話で、官憲が「こいつらは準備している」と断定すれば捕まっちまいます。そう、正にかつての治安維持法、そのものです。しかし、この政権はいったい、なんのためにこんな法秩序を構築しようとしているのでしょうか。反対するものを拘束してしまえば自分たちのやりたい放題になるということなんでしょうけれど、彼らはなにをやるんでしょ?金儲け、って事なんでしょうか?誰か教えてくれないかなぁ。なんで、こんな無茶苦茶をやるのか。