ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

最終日

f:id:nsw2072:20190827221601j:plain:w360:left 朝一番で、朝飯も喰わず、フルーツトマトを買いに行く。今でこそフルーツトマトと呼ぶ、甘いトマトはとても普及しているけれど、数年前にこの農場のことを友達から教えて貰った時にはとても感動したことを覚えている。一旦戻って朝食を取り、10時になってからちょっと値が張るけれど、気持ちの良い温泉にいこうと出かけた。すると街道筋に出る前の交差点で、今日もまた制服警官に制止された。また、やんごとない方がお通りになるので、停まっていろという。ところがこのおじさん中年警官が、結構迂闊な人で「今日はマイクロバスです」っていっちゃった。「そんなこと明かしちゃって良いんですか?!」といったら言葉を濁していた。その車列は長々と続き、白バイのあとに20台は連なっていたんじゃないかというほどだった。一体全体、なんでそんなに車が連なる必要があるんだろうかと、不思議だ。町長とか町議会議長とかそんなのが混ざっているんだろうか。今日は上空にヘリコプターまで飛んでいる。もう自由にさせてあげれば良いのに、と思わないわけじゃないが、白バイ二台は許すとしても、あとは前後に一台ずつくらいで良いんじゃないのか。テロリストに襲われることを警戒するんだったら、こんなんじゃ全然まかなえないだろうに。(「草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」へ)

 温泉に着いたら、ちょっと時間が早かったのだけれど、入れていただけた。ところがカランの方の水のポンプが巧く動いていないので、熱いお湯しか出ないから、使わないで下さい、あとからはしばらくお客さんを入れません、ということだった。どういうことかというと、それが治るまで外の客が入ってこないということだ。15分くらいで復旧したんだけれど、その間は独り占め。大きな樽の露天風呂に両手両足を思いっきり伸ばして独り占めを楽しむ。

 今回まだいっていない蕎麦屋へ行こうと山を下りる。ところが傍まで来たら、なんと定休日。こりゃいかんと、国道沿いの蕎麦屋へ方向転換する。近くまで来たら、ここにもなんと「本日定休日」の看板。バイパス沿いの店も火曜日が定休とわかっている。さても困ったなぁと思ったが、それなら混んでいるのを覚悟で評判の高い蕎麦屋へ今回二度目だけれど向かう。案の定三組待っている。ここの店は相席には決してしない。だから、ひとりで四人分の席で食べている人がいても、そのままだ。そういう方針なんである。程なく順番が回ってきて、自分たちも四人分の席に二人で座る。甚だ恐縮する。先週まで夏メニュー〔つまり忙しい時メニュー〕だったのだけれど、休み明けの今日からは通常メニューだというので、天ざるを所望する。トウモロコシ、ピーマン、茄子、薩摩芋、海老。友人に電話して、カギのことなぞやりとりしていたら、彼らは今日一番でここで蕎麦を食べたという。

 掃除をしてゴミを捨て、荷物の託送を頼み、カギを返して、車も返し、夕方の新幹線で帰宅。新幹線の中は半分ほど中国系観光客なり。

 

アウトレット

 近年物を買う気持ちが全く起きないので、行くこともなかったアウトレットに、ちょっといってみた。履きやすい運動靴があったらラッキーだなと思ったんだけれど、今のものはみんななんだかド派手で、やたら高くて、全然その気にならない。そうでないものはずっと昔風なもので、これまた意欲がわかない。

  リーバイスにストレッチのジーパンを探しにいった。もはやストレッチではないジーパンは履く気にならない。ところが安い棚にはもうサイズが残っていなかった。来年は早くきてくださいといわれたけれど、それは叶わないんだよ。この時期にならないとこないんだから。しかし、UNICLOはなんでレギュラーなジーパンのストレッチをやめちまったのだろうか。ぱつんぱつんのストレッチジーパンなんて、爺さんはよう履かんのだ。

 近頃やたらと店舗を展開している安い帽子屋がここにも店を開いたそうだ。ところが地図を見ながら探していくと、その一角だけ外から見ても薄暗い。しかも、店頭の看板にあかりがはいっていないのである。こんな店舗デザインなんてあるのか。思わず店員さんに、看板にライトが入っていないけれど、こういうものなの?と聞いてしまったくらいである。その答は「そういうもんなんです!」だったんだけれどね。

帰りにスーパーによって弁当を買って帰ってきた。旅先ではできるだけわが家のシェフの手を煩わさない方針。

終わり

  旅行もあと1日で終わり。結局、今年の夏は暑いときには暑いところにいて、暑さが和らいだ時には涼しいところにいたというわけで、効率的にはあまりよろしくない。

 驚くことにアクセルとブレーキ問題にぎくっとさせられる場面が2回ほどあった。二回とも、アクセルに足を乗せたまま、ブレーキに足を乗せていると思い込んでいたのだ。つまり、踏み間違えたのではない。ずっと足をそのままの状態で、頭が今はブレーキに足が載っていると理解していたのだ。これがいわゆる「踏み間違い」といっている状態なのだろうか。すぐにあれ!?と気がつくのだけれど、これじゃ運転免許を返納したほうがいいだろうか?しかし、通常の運転には全く何も支障はないのだ。ごく普通。その二回ともが、駐車時のほんのちょっとだけ動かした時だった。う〜むと、考え込まないわけにはいかないか。

 

はしご

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 8月の第4日曜日なので、教会の聖歌隊が長野へやってくる。今年でなんと54回目になるんだそうだ。ということは1965年あたりから、ということになるわけで、それは東京オリンピックの翌年で、私は高校三年生だった。高校三年生といえば舟木一夫か。舟木一夫といえば、ラジオでエド山口が縦に口を開ける歌い方の最終ランナーだ、みたいなことを言っていた。それは何かというと、それまでの日本の流行歌は縦に口を開けて歌うものだったというのだ。なるほど、東海林太郎のモノマネをしても、当然縦。ところが橋幸夫から横に口を開けて歌うようになったというんだね。いやいや、エド山口が言っているだけだから、本当かどうかは定かではない。

 うむ、話が意外な展開を見せているな。

 毎年この日だけは、旧軽井沢銀座に足を踏み入れる。それ以外は全く行くことがない。だからたまに行くと、どこの店が代わったかを点検して歩いているみたいだ。いくつか、カラになっている店がある。いくつか見たことがない店がある。前はなんだったか覚えていない。安物の帽子を目一杯積み上げている店ができているが、これでやっていけるとはとても思えない。多分一年面白くやれたらいいや、くらいなんじゃないだろうか。

 友人が携わっているプロテスタントの教会は午後に礼拝がある。なぜ午前中ではなくて、午後に礼拝を開いているのか、理由は聞いたかもしれないけれど、思い出せない。だから、それまでの間に昼飯を食べたいと思って追分の旧道に入って蕎麦屋による。いつ行ってもたくさんの人が待っていて、大賑わいなんだけれど、それなりのそばが割と安めに楽しむことができる。昔はこんなに人が押し寄せたりしていなかったが、いつの日からか、人が詰めかけるようになって、店前の駐車場が広がった。私たちは店前は最初から諦めていて、数年前にできた町外れの駐車場に置く。その駐車場も今日は結構多くの車が停まっている。ここの蕎麦もなんだか昔と比べると堅めに茹でられているような気がする。ひょっとすると、私の方が劣化してきているんだろうかと気になる。海老の天ぷら五本と野菜天ぷらの値段が同じという不思議な設定。

 プロテスタントの教会では昨年と同様、オランダ在住の日本人オルガニストの方が演奏された。それにしても、普通の人だったら、この教会にパイプオルガンがあることには驚かされる。夏になると各地からオルガニストがやってきて、弾いてくれるのだそうだ。プロテスタントの教会では毎週聖餐式があるわけではないので、なんだか物足りないものがある。プロテスタントは戦時中に合同されることになって、その時から日本基督教団と呼ばれ、略称「日キ(にっき)」といわれている。

 いつまで、年に一度のこの遠出を続けることができることだろう。

天気良さそう

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朝から山がくっきり見えて、今日は1日天気は良さそう。しかし、それだけ暑くなるということでもある。と思った通り、下へ降りると最高気温はやっぱり30℃を超え、お山はくっきり一日中よく見えていた。夕暮れ時に、長い稜線を見事に見たときには、もしも才能があるならば、葛飾北斎になって、あの稜線を描きたいものだと思わせた。

 やんごとなき方が今日もまたあちこち動かれたようで、夏休み最後の週末とあって、たくさん車が動いている中、裏道を走ってきたら、某不動産会社が開発した別荘地区への曲がり角にやってきたら、制服警官がいて、私が行く方向へ行ってはならないという。行ってはならないと言ったら、私たちはどうしたら良いのかわからない。そう言ったら「10分程度ですから待っていてください」という。その言い方が絶対に怒らせてはならない、そおっとそおっとものを言って、穏便に、しかし断定的にいうという態度である。事と次第では実力行使するぞという力を懐に忍ばせたものの言い方、というのはその辺のイッポコペンな下々の受け取り方なんだろう。二人いた制服警官が二人が二人とも、どこかの新興宗教信者のような雰囲気が漂う。

 じゃ、その交差点ギリギリで待ってその車列をじっくりと見てやろうと思ったら、随分手前で止められている。交差点まで出て行っちゃいけないのかと聞いたら、見えないところで待っていてくださいという。これは異な事をいうじゃないかと思った。それじゃまるで戦前のやり方みたいじゃないか。深々と礼をしてご尊顔を拝してはならない、みたいじゃないか。挙句に木立の隙間から見えた車列の、まぁ、長いこと。一体全体たった二人のために、何人くっついて走っているんだろうか。

 夕方になって、運動をしに施設へ行くと、帰り際に、またまた異なる複数の交差点に制服が2名、その間には私服がパトロールしている。また規制されちゃうのかと、行こうとすると通行人が何かを聞いている。その様子で、しばらく経つとまたそこが規制されることがわかる。

 

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ようやく

今朝方まで雨が降り続いていたがようやく長雨が一息をついたかもしれない。今日は遠くまで温泉に行き、上田で蕎麦。厄介な一方通行の込み入ったところにある蕎麦屋で、ここへ引っ越してきてから4年目くらいだろう。引っ越し前のお店の時からだから、そろそろ7~8年近くになるのかもしれない。好みの蕎麦で、何をとってもうまい。夏野菜の天ぷらはカプシカム、ネギ(これが甘くてうまい)、ミニトマト、そしてなんと長芋!海老の天ぷらを一本頼んだんだけれど、これが小さいくせに、甘くて香り高い。どういうことだろう。
普通だったらそのまま帰るところだけれど、今回は上田市立美術館で村山槐多の作品展第2期を見た。早くして逝ってしまった天才といわれる画家だ。力強い木炭デッサンを見たことはあるけれど、彼の人生は全く知らなかった。
夕飯は友人夫婦と、大好きなピザの店。アボガドと海老のサラダが相変わらずうまい。

後藤新平正力松太郎が、読売新聞を買い取るので貸してくれといってきた10万円を、自宅の一部を抵当に入れて借金をして作った。(鶴見俊輔伝 by 黒川創 p.50)

昔のこと

先日友人たちと話していて、驚いたのは50年前の大学時代のことをほとんど覚えていないというのだ。50名くらいいたクラスの中の友達の名前もほとんど覚えていないという。

 私は何人も覚えている。特に浪人して入ってきたクラスメイトは割とよく喋ったから覚えている。二浪で入ってきた望月、大宮出身の一浪永井、川崎出身のサッカー外山、浅草橋の坊ちゃん宮沢、下から上がってきた川瀬、若林、無欠席だった市川、群馬の旅館の息子岡村、弓道部の倉本、自転車部の星野、秋田からきた相原、立川の相川、等々。

 むしろなんで覚えていないんだろうかと不思議だ。実はうちのつれあいはほとんど覚えていない。

 

(加筆)じゃ、高校時代の友人をどれほど覚えているんだろうかと点検してみよう。実は高校三年の年に前のクラスの6人で当時流行った交換日記というものをやっていたことがある。今でいったらLINEかもしれない。日記を書いたら翌日次の人にノートを渡していくというものだけれど、一体誰が始めたのだろう。この時の6人は覚えている。3年間ずっと同じクラスだった茂呂、あとは森、上野、杉田、今井の6人。同じ中学から来たのはバスケットボール部の渡辺、渋谷、バレー部の杉浦。卒後スペイン語をやっていた南、一緒にバンドをやった山中、三上、黒崎、元島、質実剛健組の添田、鈴木、剣道部の関根。後から後から出てくる。顔が出るけれど、名前が出ないというのは何人もいる。フォークグループでバンジョーを引いていた清水を今思い出した。

 では、その中学はどうかというと、これが怪しい。2年N組だった長谷川、新島、西島、斎藤、宮本、宇野、木村、大木、田原、酒井、3年O組の渡辺、佐野、長谷部、・・・3年はあんまり覚えていないというか、特に女子は全く思い出せない。