ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

思いだした

  • ジャンプ傘:40年ほど前の話:職場の先輩が台湾出張の時に買ったという折りたたみの「ジャンプ傘」を持っていた。雨が降ってきた時に、周囲が見守る中、自慢げに手元のボタンを押した。折りたたみが拡がるのかと思ったら、柄から先がボンッと飛んでいった。折りたたみも拡がらずにそのまま。
  • 後藤芳子さんって、ピアノの八木正生と結婚してたのか・・・
  • 小学校3-4年生の時のクラスには重篤ではないけれど、軽い知的障害を持つ女の子がいた。苗字は忘れてしまったけれど、私たちは彼女を「たまちゃん」と呼んでいた。彼女は別に授業中に騒ぐわけでもないし、一人でどこかへ行ってしまうわけでもないが、反応が遅かった。そして反応が鈍かった。だけれどもみんなは分け隔てなく遊んでいた。彼女は自分を主張することができない。意思を明らかにすることができない。だから、トイレに行きたくても、休み時間が来るまで、行きたくなっても「行きたい」と云うことができない。だから、帰りの会がおわって、みんながたちあがって「せんせい、さようなら、みなさん、さようなら」というまで行きたくても我慢していて、とうとう限界を超えてしまう。「せんせぇ〜、たまちゃん出ちゃいましたぁ〜」と誰かが云う。すると先生が机から替えのパンツをとりだして、たまちゃんをトイレに連れて行く。だから、時々先生が「家に余裕がある人はいちまい学校へ持ってきて下さい」と云って寄付を募っていた。それでも私たちは「たまちゃん」と一緒に遊んでいた。他のクラスだって、必ず、というわけではないけれど、そのくらいの子は特別な存在としてではなくて、普通の存在としていた。もっと障害が重かった人たちは、当時どうしていたんだろう。
  • 私にはもうどこからも声がかからないから、縁のない話なんだけれど、昨年暮れにあった知人が「私はもう同窓会なんかに顔は出さないのよ」という。どうしてかと聞いたら「お金持ちになったとか、偉くなったっていう人たちばっかりでさ」というのである。なるほど、そういうことはきっとあるんだろうなとは思う。どこからも声がかからないよりは良いような気がしないではないけれど、結果としては同じか。想い出を確かめられるかも知れないから、チャンスがあったらなぁとは思うけれどね。

めでたい

 もう近頃では大学出の噺家なんてのがゴロゴロといて、かえって大学出じゃない噺家の方が珍しいなんてこともある。有名どころでは柳家小三治の弟子で売れている三三という噺家が良くまくらで「大学まで出て噺家になる手合いがゴロゴロいて、それがまた気が利かねぇ」というこきおろしをする。すると大学中退している三木助までがまるで同じことをいって見せるという案配。「大学出ていて、どうもすみません!」って声をかけたくなりそうなくらい。
 私の出身校と同窓の噺家というのは今では4人ほどいる。ひとりは芸術協会の噺家で、あと三人は落語協会に属している。他にもいくつもの大学を卒業している噺家がいて、そのひとつが同じ学校という噺家で地方議会の議員なんてのがいたりしていたが、今はどうなっているんだろうか。
 その落語協会の三人の噺家のうちの二人がどうも昨年末に結婚していたらしいと云う。女性の方が春風亭一朝さんのお弟子さんで春風亭一花という。男性の方が、金原亭馬生さんの弟子で、金原亭馬久という。一花君はもう2-3年見ていないが、なかなか面白い味を持った噺家だ。確か、柳家我太郎師匠の独演会の打ち上げで会ったのが初めてだったような記憶がある。いや、その前にどこかで見たのかも知れない。馬久の方は馬生さんの独演会で初めてお客の前で話した時から見ている。
 たまたま入船亭扇辰さんがご自分のFacebookで「一花(新妻)」と書かれていたので、おや、一体誰と結婚したんだろうかと、ネットを検索したら、「一花さん、馬久さんご結婚おめでとうございます」と書かれている人がいるのを発見!いや、驚いたのなんの。

理解不能

 トランプがイランの司令官を暗殺した。暗殺ッたって、多分空爆のようだからドローンなのかも知れない。イランは報復しないわけがない。すると公言している。日本は閣議決定海上自衛隊を中東へ派遣している。戦争状態に突入する可能性はとても高い。軍隊を派遣している日本のスタンスはどうなるのかといえば、アメリカ同盟軍として認識されることになるだろう。つい最近イランと対話をしたあべ晋三はどうするのか。
 私はすぐにも海上自衛隊は引き上げるべきだと思う。米ーイラン戦争に荷担しない姿勢を表明するべきだ。この暗殺は国際法上間違っているとコメントするべきだ。黙ってゴルフをやっていたんじゃ、これを認めたことになる。それで良いのか。
 こんな日にのんびりと映画見ている場合じゃないだろう!

風邪ひき

f:id:nsw2072:20200104005629j:plain:w360:left FacebookTwitterのようなSNSを見ていると、年末年始の休みに入るやいなや風邪を引いて寝込んでしまい、結局休みを布団の中で過ごした、という人が何人もいる。不思議とGWやお盆休みに風邪を引く人がいる。かくいう自分も結婚したばかりの頃、年末に大風邪を引き、動けなくなって往診をして貰った挙げ句に、その医者がこのままだと自分がのんびり正月を楽しめなくなっちまうかも知れないと、患者である私を肺炎の恐れがあるといって病院に送り込んだ。その正月休みは二人で、学生時代からの友人たちとスキー場にいることになっていた。電話を枕元まで延ばして貰って、断りの電話をしたことを想い出す。
 正月に病室にいる患者は悲惨なもので、主治医が休みを終えて出てくるまで退院できなかった。元旦にはさすがに病院食が雑煮だった。ところが私のベッドの隣のおじさんは、糖尿病がひどくて、餅の入っていない雑煮だった。彼は夜中にベッドの下に隠し持っていたせんべいをとりだして、ボリバリ食べていた。夜中の見回りに来た看護師にそれを見つけられ、いうことを聞かないのであれば、強制退院させるぞと脅されていた。強制退院と云えば、かつて勤めていた会社にいた同期の東大卒は、緊急入院させられた病院を抜け出して、通い慣れたる新宿ゴールデン街で飲んだくれて強制退院させられたと聞いたことがある。あの会社の採用基準は面白かったのか、いい加減だったのか、今でも良くわからない。何しろ私が働いていたくらいだからなぁ。
 正月休みの入院は元日にはもうすっかり風邪も治っていて、他にやることがないから、屋上へひなたぼっこに行ったりしていた。朝早く目が覚めると美しい景色が非日常の病室の窓から見渡すことができて、あぁ、退院したらあれもやろう、これもやろうと思った。それは20年ほど前に胆嚢摘出した病院に入院中も思った。そしてその時も、退院してからはすぐにそれを忘れて、それまでとなにも変わらない日常に堕していったことだけを想い出す。

箱根駅伝

 子どもの頃、といっても小学校の頃、うちの親父は仕事の関係から、日がな一日鉄板の入った作業靴を履いていたせいなのか、水虫がひどく、長い休みがあると、箱根の芦の湯という旅館が二軒だけあった、ひなびた温泉に行くのが習慣だった。硫黄の温泉が水虫に良い、といわれていたそうだ。だから正月休みに芦の湯に行くことが多かった。そうすると正月二日には学生の箱根駅伝が上がってきて、通りに出てこれを見送ったものだったけれど、周りには誰ひとり見物人がいるわけでもなく、ランナーがひぃひぃ云いながらジープから監督の「ハイ、ハイ」というかけ声にあわせて頑張って走って行った。その晩は旅館の入り口に「報知新聞様」とか「なんとか大学ご一行」とか書かれた看板が立てられていた。この旅館は今でもあるらしいけれど、すっかりリニューアルしたそうで、すっかり手の届かない存在になってしまった。代が変わったのか、経営そのものが変わったのかも知れない。もう半世紀以上行っていない。
 箱根に行っていないわけではない。仕事の関係で社会人になってから、箱根の山には何度も上がっている。しかし、仕事でも実を結んだ仕事になった記憶がない。前任者が契約した物件の納入には立ち会ったことはあるが、自分で契約に至った成果には繋がらなかった。ギリシア人のお客夫婦を連れて箱根見物に行ったこともある。芦ノ湖でマスが釣れるという話を聞いて行ったこともある。多分最後に箱根に上がったのは10数年前に寒くなりかかった頃に、小涌園三河屋旅館で一風呂浴びた時だと思う。あれ以来上がっていない。
 箱根駅伝をテレビで見る度に、子どもの頃の箱根が想い出される。曽我五郎十郎の音止めの滝の話は箱根に行かなかったら知らなかっただろう。そういえば子どもの頃寄せ木細工の箱を持っていたことがあるけれど、あれもきっと箱根のお土産だったのだろう。もう死ぬまでに箱根に上がることもないだろう。

煮物

 煮物といって良く想い出すのはまだ小学生の頃、つまり60年以上昔のことだけれど、おふくろの里のひい婆さんが亡くなって葬式と云うことになった。4歳としうえの従兄がその実家の唯一の子どもで、これは相当に威張って育っておった。彼と同年齢の又従兄弟にくっついていた。飯と云うことになると、奥の土間の一室に置かれた大きなテーブルにとりついて、大きなバットに山盛りになった煮物をおかずに飯を喰う。それを毎食食べる。大量に、それもごろんと切られた里芋やら蓮根、人参等を食べた。毎食なのに、飽きずに喰った記憶しかない。大量にいっぺんに作るから旨いのだろうか。
 うちでも正月はたっぷり煮物を作ってくれる。それはそれはたっぷり作る。毎食でも食べる。終いに片手にトーストしたパンを持ちながら食いかねない。それくらい食べる。今年もまた食べる。