ほぼ足りてまだ欲 その先

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箱根駅伝

 子どもの頃、といっても小学校の頃、うちの親父は仕事の関係から、日がな一日鉄板の入った作業靴を履いていたせいなのか、水虫がひどく、長い休みがあると、箱根の芦の湯という旅館が二軒だけあった、ひなびた温泉に行くのが習慣だった。硫黄の温泉が水虫に良い、といわれていたそうだ。だから正月休みに芦の湯に行くことが多かった。そうすると正月二日には学生の箱根駅伝が上がってきて、通りに出てこれを見送ったものだったけれど、周りには誰ひとり見物人がいるわけでもなく、ランナーがひぃひぃ云いながらジープから監督の「ハイ、ハイ」というかけ声にあわせて頑張って走って行った。その晩は旅館の入り口に「報知新聞様」とか「なんとか大学ご一行」とか書かれた看板が立てられていた。この旅館は今でもあるらしいけれど、すっかりリニューアルしたそうで、すっかり手の届かない存在になってしまった。代が変わったのか、経営そのものが変わったのかも知れない。もう半世紀以上行っていない。
 箱根に行っていないわけではない。仕事の関係で社会人になってから、箱根の山には何度も上がっている。しかし、仕事でも実を結んだ仕事になった記憶がない。前任者が契約した物件の納入には立ち会ったことはあるが、自分で契約に至った成果には繋がらなかった。ギリシア人のお客夫婦を連れて箱根見物に行ったこともある。芦ノ湖でマスが釣れるという話を聞いて行ったこともある。多分最後に箱根に上がったのは10数年前に寒くなりかかった頃に、小涌園三河屋旅館で一風呂浴びた時だと思う。あれ以来上がっていない。
 箱根駅伝をテレビで見る度に、子どもの頃の箱根が想い出される。曽我五郎十郎の音止めの滝の話は箱根に行かなかったら知らなかっただろう。そういえば子どもの頃寄せ木細工の箱を持っていたことがあるけれど、あれもきっと箱根のお土産だったのだろう。もう死ぬまでに箱根に上がることもないだろう。