ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

さんぽ

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 昨日、バスで通りかかったら、上野のお山の麓の桜が綺麗に咲いていたので、見に行った。ついでに、山の上まで上がってみたら、河津桜がぽつんぽつんと咲いていて、人がたくさん出ていた。みんな外に出たくてしょうがないんだろう。
 西洋美術館はメンテナンスとかで、庭すら閉鎖していたので「考える人」も見られなかった。驚いたのは、駅前の工事が終わっていて、公衆トイレがあったところはロータリーになっていて、両大師橋の方から上がってきて、そのまま戻る格好になっていた。だから、広小路の方から上がってくる通りは閉鎖されちゃったのである。こうなることでなにが良くなったのかというと、駅前で人と車が交差しなくなったということだ。めぐりんバスも、スカイツリーバスもみんなここで引き返していく。

 不忍池には、水鳥がたくさん来ていて、お爺さんが食パンを撒き始めると、バンからカルガモから、ハシビロカモも一斉に集まってきて、大変な餌取り合戦になってしまう。

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46とか48とか

 いくつあるのかしらないけれど、夜中のテレビやラジオなんてつけると、名前も聞いたことのないお笑い芸人か、何人出てくるのかわからない、華奢な、成人なんだか、年端のいかない少女なんだかわからない団体チームが出てきて、思わず顔がゆがむ。
 団体チームの方は日本だけじゃなくて、韓国系も多いらしくて、どれがどれだかわからないというよりもわかる必要もない。だって、ただただ気味が悪いだけだからだ。
 特に女子のチームは、あられもない格好で、人前ではしない方が良いと思われるように身体を動かし、良くもまぁ親は平気でいられるもんだとますます眉間に深い皺が出てくる。すぐチャンネルを換えれば良いのだけれど、怖いもの見たさというか、気持ちの悪さがどこまで行くのか見たいような、なにか下卑た、そうそう、まるで昔の新宿のウラ路地にたまたまあった美人喫茶の入り口に立っていたお姉さんを見て見ぬフリをするような、雰囲気を感じるというのかなぁ。それを無理矢理「そうじゃないんだ!」と言い張って、若いお粗末様をだまし討ちにして金儲けに走る、それこそ嫌らしいおっさん連中にたかられている女子とそのファンと称するにいちゃん達が残念だなぁ、と慨嘆する。そんな爺さんはチャンネル動かすなよ、という声が聞こえてきそうだね。ロクなことが起きないぞ。

1970年

 1970年の夏のある日、San Franciscoのデパート、Macy'sの入り口でデモのピケが張られていた。何人もの人たちがプラカードを持ってデパートの前でグルグル回っていた。一体何のデモなのかと思ってそのプラカードを見上げたら、「Gay Is Beautiful!」とか「Gay Power!」と書かれていて驚いた。当時は性的な理由で従業員が解雇されることは良くあることだったのだけれど、San Franciscoはヒッピームーブメントと共に、それに抗議する動きが既に始まっていたということだった。
ハーヴェイ・ミルクは映画にもなっている。


町山智浩のアメリカの今を知るTV With CNN #82


映画「ミルク」予告編

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20℃こえ

f:id:nsw2072:20210222211630j:plain:w360:left なんと今日の最高気温が20℃を超えていたという。まだ2月だ。こんなことをしていたら桜が咲いてしまうぞ。と思っていたら、上野のお山の麓、交番横の桜はもうちらほら咲いている。もちろんあれは染井吉野ではないだろう。不忍池の周りの桜も綺麗に咲いているのをバスから見たけれど、あれは多分河津桜に違いない。明日か、明後日には写真を撮りに行ってみよう。

志ん朝

増補新版 古今亭志ん朝: 落語の申し子 (文藝別冊)

増補新版 古今亭志ん朝: 落語の申し子 (文藝別冊)

  • 発売日: 2019/09/11
  • メディア: ムック
 KAWADEムックの文藝別冊「古今亭志ん朝」は2014年に発刊されたものですが、2019年に増補新版が出ています。この増補新版の意味はと云うと、先日NHKの「アナザーストーリー」で触れていた2001年雑誌「東京人」に掲載された現林家正蔵(当時こぶ平)との座談の未収録部分が掲載されていたり、杉浦日向子との蕎麦談義があったりして、これはなかなかのもので、どこか旅に出た時かなんかにどっぷりと志ん朝に浸かる、なんてぐあいに読みたいなと思っているんだけれど、その「旅」にいくわけにいかないという実にどうしようもない状況におりますねぇ。

 今日のNHKBS1スペシャルで「決断の冬、浅草〜下町経営者と信用金庫〜」で、朝日信用金庫と「浅鳥・月見草・蔵」「常磐堂」が出てきて、コロナの苦境を伝えるんだけれど、こりゃどうにもならないんだよなあ。これだけ観光客が来なくなったんだから、こういう観光客で持っていた業界は瀬戸際に立たされているよねぇ。なんだかんだいっても、人が来ないんだから。今日はそんな状況だから、友達の店に買い物に行った。とはいっても私なんかができることといったら、千円の天丼弁当を買って、5百円の瓦せんべいを買うだけなんだよな。話にも何にもならないよ。伝法院の通りのメンチカツ屋くらいじゃないの、廻りに立って食べている若者がいるのは。あと行列ができてたのは中央通りの中華屋だけだった。あそこは餃子がテレビに出たからね。そうそう、テレビ出に出るというのは重要で、ひさご通りのフルーツパフェ屋さんは今日も外でお客が待っていた。テレビに映るってのは重要みたいだねぇ。なんたって若い人たちが来るよ。
 
 そろそろ大規模修繕だ。息子が片付けの手伝いに来た。

神保町

f:id:nsw2072:20210220210211j:plain:w360:left そんなに乗り物に乗って出かけていると感染するリスクが増すばかりだよ、といわれながら、今日は神保町へ行った。大和屋履物店さんが3月で一度閉め、改装をして5月に再開するからセールをやっていますとフェイスブックに書いておられたからだ。
 さて、それでそのどうやって行くか、という問題だ。最初は突き通して歩いてみようかと思ったんだけれど、多分途中でめげるだろうと、それはさすがに諦めたが、多分片道5km程らしい。1時間半もかければいけるかも知れないが、多分当然の如くに途中でダメになるか、帰ってきちゃいそうだ。でも途中のバス通りまでの1kmは歩いた。バスに乗って上野広小路上野御徒町から大江戸線に乗る。二つ目の春日で降りる。さて、こっからどうして良いのか。一度は「あ、南北線か!」と思ったんだけれど、これだと次は飯田橋になってしまう。方向が違う。まさかと思った都営三田線に乗れば、二つ目が神保町だ。そうか、これだったか。

 しかし、神保町の駅も古い方になってきただろう。1972年の開業だというから、当時私は東京にいない。もう構内は複雑怪奇な様相を呈していて、それが全部階段で繋がっているものだから、年寄りにはきついことこの上ない。都営の浅草の駅をもっと酷くしたような具合になってしまっている。

f:id:nsw2072:20210220210107j:plain:w240:right 大和屋履物店で千円の雪駄と手ぬぐいを二本買った。なんでこんな店を知っているのかというと、一昨年のことだったか、コレド室町テラスで某元鮨屋の錦絵を趣味としている人の絵が入った小物店みたいなものを見ていたら、そこで遭遇した方がここのお嬢さんで小倉染色図案工房なるものを主催されている方だった。入手した手ぬぐいは二本とも、大層気に入った。抹茶色の手ぬぐいは良く見ると模様が煙管。

 もう神保町で古本に手は出すまいと心に決めているのにもかかわらず、店頭のワゴンから三冊手にしてしまう。池田弥三郎の「わが町銀座」は後ろの「一族再会」を読みたくて買った。
 

皇弟溥傑の昭和史

皇弟溥傑の昭和史

横浜の関東大震災

横浜の関東大震災

細川綾子さん

 年初だったか、昨年末だったか、三木のり平の息子であるのり一さんがtwitterで細川綾子について書いていたので、なんだろうなとは思っていた。一昨日久しぶりに逢った元京橋、現月島住まいの方から細川さんが昨年11月の終わりになくなっていたことを聞いた。どうやら81歳だったらしい。しかし、なんで亡くなったのかについてはどこを検索してもわからない。彼女はサン・ノゼ暮らしで、一昨年日本に帰ってきた、ピアノの長部正太と良くタイミングを合わせて帰国しては東京の各地のライブハウスで唄っていた。デビューは15歳だというから、芸歴66年ということになるんだろうか。そのレパートリーの広さには、感嘆したものだ。じゃ、後藤芳子さんは一体おいくつになるんだろう。
 ひょっとしたら、最後に聞いた細川綾子さんの歌は「the end of the world」だったかもしれない。