ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

浅はかだった

 私は香港の人たちはどんどん逃げ出したら良いのに、と思っていた。今朝のNHK-BS1スペシャル「香港ディアスポラ~ロンドン 移民たちの1年~」の再放送を見た。香港から英国へ11万人の人たちが移住しているのだそうだ。ところが、英国であっても、増大する中国の力が誠に大きくなってきていて、中国人向け不動産会社は今やウハウハだけれども、そこでは香港出身者を雇うわけにはいかないという。とにかく中国資金がそれほどロンドンを席巻している。中国なくしては考えられなくなってきているというのだ。香港出身の留学生たちは、学内でアムネスティ・インターナショナルの活動として、香港の民主化を訴えるデスクを出していたところ、数十人の中国人留学生に取り囲まれて、邪魔をされるだけでなく、香港出身者の顔写真を撮りまくったというのだ。もうそれだけで彼等は恐怖にさいなまれる。
 習近平の独裁恐怖全体政治(どんな言葉かといわれるか)がこんなところにまで影響している。日本も多分例外ではないだろう。香港は独裁恐怖全体政治に呑み込まれてしまうのだろうという危惧は高まるばかりだ。昔だったら戰争になったかも知れない。それくらい、習近平独裁恐怖全体政治はやばい。彼等に対抗する術を菅義偉が考えているとも思えない。一体何ができるんだろうか。

いうこと聞かねぇ。

沖縄県知事が、「こんな時に沖縄に来ないでくれ!」と叫んでいる。それでも、そんな悲鳴はなんの園まり、天地真理!沖縄へ飛ぶ飛行機は満席だっていっている。現場の連中のことなんてどうでもいいんだね。折角の4連休だし、子どもも夏休みだし、さぁ、沖縄だぁ〜ってんで遊びに行っちゃう。酷い話だよ。人のことなんてどうでも良い、という点では、「やめるのは簡単だ、それが一番楽だ、だけれどもそれでも挑戦するんだ」とWall Street Journalのインタビューに答えた馬鹿野郎と何にも変わらない。
 こういう時に言うんだよ、「恥を知れ!」って、わかるか、三原じゅん子

 本当かどうか知らないけれど、北海道の大手レンタカーはこの4連休中車両払底だそうです。どうよ?

武藤敏郎

 オリンピック組織委員会事務総長である。なんとも木で鼻を括ったような対応の男だけれど、それはそのはずで、彼は元は大蔵官僚である。1966年入省。

大蔵・財務事務次官、2003年日本銀行副総裁。2008年日銀総裁候補となるも、3月12日、参議院は民主、共産、社民、国民新などの反対多数により武藤は副総裁候補の伊藤隆敏とともに不同意となる。2008年6月東京大学先端科学技術研究センター客員教授。2008年7月大和総研理事長、言論NPOアドバイザーリポート、2009年から2015年まで学校法人開成学園理事長。
双恵学園、開成高→東京大。国家公務員上級職甲種試験(法律職)と司法試験に合格し、1966年に東京大法1類(私法コース)を卒業
(ウィッキペディア)

1998年1月19日衆院予算委 「国民の声」の石井一(ダッカ・ハイジャック事件の身代わり人質になった、あの石井一である)が質問に立った。時の首相は橋本龍太郎。大蔵大臣は三塚博。石井一が取り上げたのは大蔵官僚に対する各大手金融機関のMOF担(Ministry of Finance大蔵省担当)による大接待疑惑である。どうもピンとこないんだけれど(私は日本にいなかったから)、それでも「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」というなんともお恥ずかしい名称が跋扈した、あの大接待事件だ。
 爆弾男といっても良い、石井一が取り上げたのは前年年末から新聞紙面を賑わしていた大蔵官僚収賄疑惑で、当日の朝刊には日本道路公団経理担当理事(元大蔵省の局長)井坂武彦の逮捕が報じられた。ここから逮捕者は連続し、1月26日に大蔵省検査官2名逮捕。3月5日に大蔵官僚二名逮捕。3月11日日本銀行証券課長逮捕。結局逮捕者6名、自殺者3名、大蔵省は112名の処分という大規模な収賄、遊び回っていた事件となった。なにしろ先日菅義偉政権のアドヴァイザーだかなんだかを辞めざるをえなくなったブルガリ腕時計・高橋洋一が昨年振り返って言うには向島で銀行と大蔵官僚は遊び回っていたし、新宿の中国人女性が経営する楼蘭という店でそのいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」だったそうだ。ブルガリ腕時計は「接待を受ける人って、実はできる人なんです。」なんてうそぶいてまでいる。(→こちら

さて、石井一はこの日こう訊ねた。
「大蔵当局は、日興証券の担当者に対して、この問題がどうなっておるのかということを事情聴取しておりますか。」
答弁に立ったのは長野厖士証券局長「証券会社をめぐります法令違反等の事実があるかどうかにつきましては、証券取引等監視委員会におきまして、司法当局と連携をとって常時監視しておるものと考えます。」といいながら、実は接待ずっぽりだったわけで減給処分になり、この年4月に退官した。その後司法試験に合格し、今は弁護士の様だ。彼は実は中山恭子中山成彬武藤敏郎と同期の大蔵省入省組みである。この時、石井一は「そんな答弁なら政府委員は出てこなくて良い!」といい放った。
 石井一はこの年1月元旦の読売新聞が「日本興業銀行に始まって、日本長銀、東京三菱、住友、三和、第一勧銀、富士、さくら、そして野村証券日興証券に至るまで、「主要銀行と証券会社の現・旧幹部が証言する大蔵接待の実態」という記事に触れて三塚大蔵大臣に質問を投げる。
三塚博大蔵大臣の答弁「平成七(1995年)年の五月に綱紀粛正の通達というのを出してあります。なお、一昨年)、八年(1996年)の十二月、さらに通達を倫理規程という形に変えまして、外部の皆さんとの接触、会食についての禁止等について厳しく厳命いたしたところであります。一昨年十二月倫理規程発出後は、その後の報告は、さようなことは全くない、こういうことでございます。」まったくない、っていっちゃった。
石井一「あなたは今、調査をされたと言われましたが、読売も読まれたと言われましたけれども、この事実はおおむね事実か、そうでないのか、はっきりさせてください。」
三塚博「ただいまのところ、調査をした結果そういう行き過ぎた事実はありませんでした」「法に触れるようなことはないという報告」
石井一「十数件に関して、事実が、該当があるのかないのか、あるとすればどういう実名か」

 ここでなんと大蔵大臣官房長武藤敏郎君が登場する。
「一昨年の十二月に大蔵省は倫理規程を出しましたが、それ以後におきましては、私どもはない、これは調査した結果ないと思っておりますが、それ以前の行為につきましてはいろいろなことが言われております。重大な疑惑がありますればそれは調べるということで考えていきたいと思っております。」見事に木で鼻を括ってご覧に入れております。しかし、これはものの見事な大嘘で、一週間後には大蔵省金融検査部の宮川宏一金融証券検査官室長、谷内敏美金検部 管理課長補佐の二人が逮捕。二人は武藤敏郎の直属の部下で、そこから大蔵省はようやく調べ出したらしい。嘘つきには筋金が入っている。それにしても当時の検察はきちんと仕事をしている。この辺の流れは菅義偉の息子の接待疑惑と重なる。今の検察はなにもしていない。
その他の逮捕者:榊原隆 証券局 課長補佐、 宮野敏男 証取委 上席検査官、吉沢保幸 日銀 営業局証券課長、松野允彦地銀協副会長-元証券局長、全部で逮捕者は42名にのぼったといわれている。

首相秘書官や主計局次長を歴任した武藤と同期入省の中島義雄はエー・アイ・エーに絡んで1995年にやはり辞職している。この同期入省組みは「花の〜」と呼ばれたそうだけれど、とんでもない「花」だった。
 
news.tbs.co.jp

 わざわざ「最終的な任命責任は我々にあることは間違いありません。ありませんが我々が一人一人を選んだわけではありません」というコメントをつける必然性があるだろうか。どうも、感覚が、ちょっとずつずれている様な気がして、それがどんどん蓄積されたい結果がこうなっているんじゃないか、と。

中島義雄については、「東京協和信用組合の当時の理事長である高橋治則氏から会食、ゴルフ等の供応を受けていた、冬虫夏草ドリンクに関する契約書に署名捺印し、自らの名前を利用することを許していたこと、及び同契約書に関連し、窪田邦夫氏とその共同事業者との間の清算金の受渡しの場として主計局次長室を提供、大蔵省在職中に、知人から極めて多額の贈与等を受けていたこと及びこれに関する税務申告を長期間怠っていたことが判明」と当時、保坂展人衆議院議員の質問書に回答されている。
 この人は麹町小→麹町中→日比谷高→東大法 武藤敏郎のあとの大蔵省主計局次長、退官後は京セラ、船井電機セーラー万年筆、その他。

閉店

 1980年代にほぼ毎晩の様に通っていた、泰明小学校前の路地にあった小さなジャズ・バーがついに閉店したと、連絡があった。わずか40数年の期間だったけれど、正にバブルのさなかには、多くの映画、出版、テレビ業界、化粧品、サッカー業界人で賑わっていた。普通の企業サラリーマンで顔を見せるのは少なかったけれど、そういう人たちはすぐに匂いで判別がついた。というか、服装でわかった。実に地味なスーツを着ているものだった。古いジャズのレコードを聴きながら他愛のない話をしているのは面白かった。日頃の自分の行動範囲の中では知り得ない情報を知らず知らずのうちに取り込んでいた。昼に珈琲を出している男がジャズが好きで、水商売の姉が夜を仕切っていた。当時のあの界隈だから、本当のオーナーが誰なのか、よくわからん。そんなことはどうでも良くて、楽しかった。
 もう当時の人間のほとんどはリタイアしていることだろう。まだ働いていると聞いているのは、映画関係者だけじゃないかなぁ。
 音は消えていき、人は通り過ぎていくが、街はそんなことを覚えてもいないかの如くだ。

図書館の方針

 ようやく地元の図書館がどういう方向を向いているのかがやや分かり掛けてきました。とはいえ、ここに住んで一体何年経ったンだってんですが、もう45年を突破してしまっているんですねぇ。それでようやくかよ、というわけです。
 それに気がついたのは、なにかというとこれでございます。

 ご存知小林信彦の本です。ついこの前の出版です。今年の5月20日刊行です。ここの図書館にとっては、ついこの前のことで、普通だったらまだまだ配架なんかされてないだろうとでもいう様なタイミングです。しかもです!しかも、二冊も蔵書がされていて、そのうちの一冊においては「郷土」コーナーに禁帯分類されております。つまり、永久保存するつもりですよ。この辺の分野については実に精力的な活躍ぶりでございます。それに引き換え、社会科学系については実に惨憺たる有様でございます。私はそのほとんどを隣の区の図書館に依存しております。
 実は、この傾向は新刊本を扱っている書店でも同じです。というか、新刊本を扱っている書店というのは非常に数が限られています。正確にいうと、この界隈には二軒しかありません。ほとんど雑誌を扱っているという程度の書店は数店未だに残っている様に見えないことはありません。二軒ある新刊本書店は両方ともチェーン店ですが、一軒はもうほとんど地元関連もの及び雑誌と漫画になってしまいました。
 つまり、この地域は書物ということについてはどんなマーケッティングをやっても、ここではこんな分野しか売れない、ニーズがないという結論なのでしょう。ということは極論をすると、その分野の研究者や学者はこの地域からは育たないということに・・・う〜ム、それはあまりにも極論かも知れませんが。
 実は古本屋ももうほとんど死にそうです。一番近いところにある古本屋は、もはや在庫がほとんど動かない。新たな本も増えない代わりに、いつまでもある。一番新しくやってきた古本屋は、耽美な世界に埋没しております。それはそれでニーズがあるものと思います。私は足を踏み入れたことが全くありません。宇野亜喜良のイラストを「話の特集」で見ていただけです。

 西隣の区の図書館が利用のしがいがあります。

円谷幸吉

 
 円谷幸吉の故郷、須賀川市ではことしの3月27日に松明リレーが通った。

 沿道には円谷選手の大学時代の同期であり、君原健二さんの友人でもある高松常太郎さん(83)=大宮=、神立修司さん(78)=横浜=らも駆けつけ、横断幕でエールを送った。「感動で胸がいっぱい。円谷君に、『聖火リレーやっているよ』と心の中で伝えた」と話す。

 神立修司さんはこの本の中にしょっちゅう登場する、円谷幸吉中央大学産業経済学科13組の親友である。

 自衛隊体育学校の当時の校長、吉池重朝が、権力を振るって自己満足のために、円谷幸吉の人生を踏みにじったといっても良いのだろう。円谷の理解者であったコーチを遠ざけ、なにも知らない人間をコーチとし、婚約者を脅して円谷から遠ざけ、故障を抱えた円谷にプレッシャーをかけ続けた男として、報告されている。
 同じ自衛隊所属で、東京オリンピック重量挙げで金メダルを取った三宅と共に円谷は何度か皇居に呼ばれたことがあるという。吉池は婚約者と家族に「既に彼はロイヤルファミリーの一員である、そういう男と家族になる覚悟はあるのか」とまでいって、婚約者家族は尻込みをしたというのだ。

 大量の手紙やハガキを知人、家族、尊敬する上司に送った円谷のマメさがなかったら、この本は無論書かれていないだろう。

 忘れていたのか、知らなかったのか、自分でわからないけれど、80mハードルの依田郁子も45歳で後に自死している。

  • 追記

 柔道の猪熊功も後年、バブル崩壊後、会社倒産の憂き目に遭い、自死したと報じられている。

これも一応書いておく

 東京五輪の開会式で楽曲制作を担当するミュージシャンの小山田圭吾さんが過去に雑誌のインタビューで学生時代のいじめについて告白していた問題を巡り、東京五輪パラリンピック組織委員会武藤敏郎事務総長は17日の記者会見で「十分に謝罪し、反省している。このタイミングでもあるので引き続き支え、貢献してもらいたい」と続投に理解を求めた。(2021/7/17 17:03 (JST)7/17 17:25 (JST)updated共同)

 うやむやオリンピックと命名す。

 彼は告白していたのではなくて「自慢していた」のでそこだけは訂正して欲しい。