ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

神保町

千代田区で仕事をしている人が、9-10月は千代田区役所本庁舎の10階の食堂で、地元の飲食店が弁当を売っているから、とFacebookで宣伝していたので、一度入ってみようと思ってはいた。
朝目が覚めると午前10時前で、こりゃ丁度良いやと、すぐさま出かけた。
都営新宿線を九段下で降り、途中までエスカレーターであがり、「残念でした、階段(下まで来るとエスカレーターがあるのでやれやれとそれに乗るんだけれど、途中でエスカレーターは終わってしまって結局ヨイショヨイショと上がる)」を上がると、靖国通りの九段下交差点に出た。

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内堀通りを左へ曲がると右側は九段会館なんだが今は何か修理中なのか、白い塀で囲まれている。
東北津波のあの地震で確か、九段会館は屋根が落ちたかなんか大きな被害があったはずだよね。
元はといえば、1928年(昭和3年)に竣工した「軍人会館」。戦後は国有資産で遺族会に貸与されて九段会館として運営されていたんだけれど、地震で壊れて廃業されていた。2017年に東急不動産に売却。登録有形文化財建造物である旧九段会館を一部保存しながら建て替え中なんだそうだ。デヴェロッパーに売り飛ばすという安易解決法。

千代田区役所かと思って入っていったビルはひとつ手前の東京堂びるだった。道理でエレベーターで10階押しても動かなかったわけだ。全くなんの仕掛けもない、セキュリティのないビルだ。
その先が区役所で、ここで、先日くも膜下出血で気を失った運転手さんのタクシーがぶつかった。

f:id:nsw2072:20211011171228j:plain:w360:left 10階に上がるとそこは区役所の食堂で、「弁当販売←」と描いた紙が貼ってあったのでそっちに行ってしまったけれど、→こっちに行くと、普通の食堂になっている。今日の定食のひとつはヒレカツ定食だった。
弁当売り場に行って見ると、中華系と、天丼だ。天丼はすずらん通りの天麩羅屋「はちまき」だったので、余りの懐かしさにこれを買ったんだ。懐かしさにかまけてはダメ、という典型的な選択。海老二本、烏賊、キス、蓮根、獅子唐だったんだけれど、ご飯がベシャベシャで、まるで私は天麩羅お粥を食べているのかと思った。たぶんお弁当なんてこれまで作ってないんじゃないの?お店で食べたのは美味しかった想い出だけれどなぁ。ちょっと一食分、損をしたような気がする。しかし、景色は良いのだ。

f:id:nsw2072:20211011171607j:plain:w360:right 靖国通りに出て、銀行のATMから先日買った本の代金を振り込もうと銀行に向かうと、そうそう、途中に大和屋履物店があって、内装を改装して一度も来ていない。綺麗になった。お婆さんがやっぱり店に出ている。下駄、雪駄を買う気はないが、小倉充子さんの手ぬぐいがお目当て。良い色の下駄を描いた手ぬぐいを入手。この色に惚れた。

神保町に来てしまうとどうしても古本屋に引っかかる。あちこち引っかかる。引っかかるが、古本屋では一冊しか買わなかったのに、来年の3月で今の建物を建て替えるといっている三省堂で、9冊も手に入れてしまって、荷物がどさっと重くなった。
古本屋でこれ。初めて見た。

わかってない

ひさしぶりに某大学の先生が主催されている、Zoom社会人ゼミナールだった。
デマゴギーにみるような、「イメージ」と「リアリティ」の関係を社会学的に、というお話で、なにしろ社会学の素養がまるでないものだから、出てくる言葉、人の名前、初めてのものばかり。
それでも、語られる例が、聞いたことがある事象なので、なるほどなるほどと。

「命のヴィザ」の発行人として、ユダヤ人社会では恩人と云われる杉原千畝は確かに、リトアニアで最後までヴィザを書き続けたのだけれど、それによってシベリアから敦賀に難を逃れたユダヤ人は、一体何から逃れたのか、というポイントに目を止め、そこを大著をもって解き明かした人がいる。ナチスからの難民ではなくて、ソ連共産党政権からの難民だったという話らしい。
なるほど、あの時点では、まだリトアニアナチスに蹂躙されてはいないのだ。
600頁を超える著書を著した研究者の話を来年聴く予定だと云うことだ。

 終わりの方で、先生のかつての教え子だと云われる還暦あたりの「若者」が発言していたのを聴いていると、他の聴講生がどんな年齢の、どんなバックグラウンドを持つ人たちか、という点を知らないからなのだろうけれど、自信満々な語り口で、そういえば、この辺の年齢の頃は私もそうだったんじゃないかと、反省しきりである。怖さを知らなかった頃の自分を思い返すと、実に恥ずかしい。

小三治、死す!

 噺家人間国宝柳家小三治が亡くなったそうだ。81歳と、まぁまぁの年齢か。長いことここまで体調を誤魔化し誤魔化しやってきた感じがする。大分弱ってきていた。高座に出ている湯飲みの中身は薬なんだと、テレビでやっていた。(あ、そうだ、NHKがどんな番組を流すのか、楽しみだ。)ところが撮影していた日に、その湯飲みに、その日の前座が慣れてなかったのか、普通にお茶を入れて出した。すると小三治の弟子の、あの三三が「ダメじゃねぇか!」と叱るんだね。小三治はふふふ、って顔している、「まぁ良いよ」って。ま、そうしたものだよね。小三治本人が「冗談じゃねぇんだ!」って叱っちゃったら前座はもうやめるしかなくなっちゃうものなぁ。小三治は予備校へ行ったことがあるらしい。しかし、大学は行っていない。なにしろ若い頃から素人演芸会を軒並み出て歩いたってんだから、天才だ。そういう点では、志ん朝の感覚に似ているかも知れないなぁ。
 いや、実は私は三三が好きじゃないんだよ。自分の才能を過信しているからだ。フン、ッてんだ。

初天神、小言幸兵衛、鰻の幇間・・・
 若い頃はバイクを乗り回し、オーディオに凝って、それぞれの方でもファンに親しまれていた。やっぱり彼は若い頃の噺より、歳がいってからの方が面白かった。誰もがそう云うし、そんなタイトルの本もあるけれど、長い枕が面白かった。誰もがそれは納得するだろう。「落語研究会」の録画でもみようかなぁ。


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 昔の噺家の真似が巧いんだ。

LITERA 2021.10.08 09:56

誰かがどこかでちゃんと書かないもんだろうかと思っていたら、こんなことになっていた。

本サイトでも繰り返し伝えてきたように、すぎやま氏は安倍氏の下野時代に「安倍総理を求める民間人有志の会」の発起人を務め、再び総理の座に返り咲くにいたる“安倍復活を支えた応援団”のキーマンのひとり。安倍元首相の政治団体に対して毎年のように100万〜150万円の寄付をおこなってきたことはメディアも報じてきた事実だ。

 さらに、すぎやま氏は表立って安倍氏を支持してきただけではなく、「裏」からも応援。2014年には改憲推進団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の代表発起人となって安倍首相の手による改憲実現のために尽力し、2015年には安倍政権に批判的なニュース番組に圧力をかけ、当時『NEWS23』(TBS)で安保法案の危険性を指摘していたアンカー・岸井成格氏を番組降板に追いやった「放送法遵守を求める視聴者の会」の創立時に代表呼びかけ人にもなった。

 つまり、すぎやま氏の足跡を振り返る際、安倍晋三という政治家を陰に陽に支えてきたパトロンという側面はけっして外せないものだし、さらにいえば、安倍氏との接近はすぎやま氏の極右思想と切り離せない問題なのだ。

 ところが、訃報記事のなかで安倍元首相との強い結びつきについて言及したのは、産経新聞だけ。安倍元首相は本日18時ごろに〈2012年の総裁選、悩む私の背中を押して頂いたすぎやま先生。苦しい時もずっと応援してくださいました〉と追悼のツイートをおこなったため、今後、安倍氏とすぎやま氏の関係について触れた記事も出る可能性もあるが、それはあまりにも遅すぎるだろう。

 差別問題だけではなく、安倍元首相を強く支えてきたことさえなかったことにする。当たり障りのない訃報記事で済ませようというメディアの事なかれ主義の姿勢が、ここでもあらためて浮き彫りになったと言えるだろう。

実はこの長い引用は該当記事の最後の部分なので、全編は『こちら』。

なんだかね

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 朝飯を喰ってから、グズグズしながら寝たら、気がついたら13時を過ぎていた。MLB野球はもう二試合終わっていて、三試合目が始まっていた。地区決勝に入っていて、HoustonはChicago White Sox相手に二連勝。Houstonはサイン泥棒・ワールド・チャンピオン以来、鼻つまみ者なんだが、それでも強い。それがますます気に入らない。
National LeagueはDodgersとGiantsの対決になっていて、これは盛り上がるんだけれど、Logan T. Webbの好投の前にDodgersは完封されちまいましたぞ。これだとリーグ対決に勝ち上がるのは久しぶりのSan Franciscoでしょうかね?

やっぱりプレイ・オフに残らないとダメですねぇ。もうみんな大谷翔平のことなんて、忘れちゃってるもんね、実際。さて、彼はMVPに選ばれますかねぇ。プレイオフで驚きの大活躍する奴が出てきちゃって、印象を全部持っていかれちゃうなんてことはないですかねぇ。

頭痛がしてなかなか収まらない。歩きに行っても収まらない。気圧じゃないのか、という人もいた。気圧が頭痛を引き起こすという話は聞いたことがあるが、これまでそもそも頭痛に悩まされると云うことはほとんどない。
本当にそういう人はいるらしい。大体これまで肩こりとか頭痛になったことって、それほどなかったのになぁ。これも加齢かな?

やれやれ

 昨日の地震が影響したわけもないんだろうけれど、今日はほぼ一日ゴロゴロ寝て過ごしてしまいました。
たぶんこれで体重は戻ってきたんじゃないか、という気がする。
うつらうつらするとなかなか面白い夢を見るので、目覚めたときに楽しみなんだけれど、スマップの何人かと遭遇して、それぞれの写真を撮るって云うのは結構珍しい類いの夢だろう。前の晩彼等は温泉の大きなそれはそれは広大な風呂場の脱衣所が畳敷きになっていて、そこに布団を敷いて眠り、気がつけば風呂に入るというなかなか豪儀な晩だったといっていたのが面白いんですよ。たぶん自分がそうしたいんでしょうねぇ。

 そういえば、最後に温泉に行ったのがいつで、どこだったか、もう思い出せないのが悲しい。

揺れた

今夜の千葉を震源とする地震は、ちょっと経験したことがない揺れだった。
ずんずんずんと細かい揺れが来て、あ、これは地震だなと思って、危ないものばかりの自室を慌てて飛び出て、玄関入り口の扉を押し開いた。
その時には、各自の携帯電話やテレビがギャンギャン鳴っていた。
横揺れは全体が横に滑るというよりは、大きな掌に乗っていて、それがグングンと振り回されているような大きな揺れ、揺れ戻す、という繰り返しだったような気がする。
それも一旦収まりを見せた後すぐにまたぎゅうんぎゅうんと揺れたようだった。
外からもギャンギャンとアラームが聞こえてきていたけれど、あれはいったいどこから聞こえていたんだろうか。
部屋の中に立ててある積ん読の本のタワーが二本崩れたくらいだったし、本棚は無事だった。
猫たちは、すぐさま物陰に隠れた。
怯えている。

人間も怯えている。

実は

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廓ものの落語が、実はあんまり好きじゃない。
江戸文化のひとつの華だのようにいわれる廓の落語が大変に多いんですよね。
「遊女三千人といいまして」、とか枕でいうでしょ?
圓生なんかも「大変にぃ、結構なところがぁ、なくなっちまいましてぇ」なんていっている。
三枚起請だとか、お直しだとか、紺屋高尾、幾代餅、品川心中、明け烏、付き馬・・・とどまるところを知りませんね。
戦争中は不謹慎である、とかいっちゃって、田原町のお寺の噺塚に葬られたとかっていいます。
そのくせ、幹部連中は戦地にまでお妾を連れて行ったなんてバカヤロウもいるんですがね。
兵隊には、慰安婦をあてがったりしてね。
かつてはそんなん当たり前だったわけですよ。
とむらいが 浅草と聞いて 親父いき」なんて川柳が残っておりますね、と枕で良く聞きます。
落語はしくじり話が面白いから、上がっても女性が来なかったなんてのが普通にでてきますが、もうね、そういう話を聴きたくないんですよ。
なんだか、なまなましいでしょ?いやじゃないですか?
やっている方はどうなんですかねぇ。
一度噺家の人に聞いてみたい気持ちはあるんですが、「無粋な人だねぇ」なんていわれちゃうんじゃないかと思って口にも出したことはありませんねぇ。