ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

NHK


 二軒の図書館に返却本を返して帰ってきて疲れた。風が強く、西に向かって歩くともろ向かい風である。


近所のスーパーでワンプレートの冷凍飯を390円で買ってきた。「五目ご飯と鶏と野菜の黒酢あん」である。冷凍庫は一杯で入らないからすぐ食べるしかない。そこそこなんだけれど、野菜といっても芋とナス、いんげんブロッコリー程度である。小さな鶏の唐揚げはたった3個。ま、そんなもんだよね。この値段なんだから。案の定足りなかったので、パンを食べる。


 気がついたら参議院予算委員会NHKが中継していた。それでも17時になったらガチャンと大相撲に切り替えた。それでテレビ中継から外れたのはれいわの山本太郎だった。「コミュニティを守る!」という言質を岸田脱税文雄から引き出しておいて、実際には被災地ではろくな補償金がでなくて、コミュニティは壊れるに任せた状態になっていることを山本太郎は切々と訴えたが、委員長の民主党を裏切って自民脱税党に寝返った櫻井充は岸田脱税文雄の答弁を「時間が来た」といってぶった切った。テレビに映らないから平然とぶった切った。そういう男だ、あいつは。私はネットで参議院インターネット中継で見ていた。


 NHKバタフライ・エフェクトが「イスラエル」を特集していて、その中に、私達が子どもの頃踊っていたフォークダンスの「マイム、マイム」が出てきた。マイムは水を意味し、ベッサソは良いを意味するというのである。つまりわたしたちは中学生にしてすでにヘブライ語を叫び合う仲間だったわけで、「キブツ」を疑似体験していたのである・・・というのは大げさだけれど、驚いたのだった。


 雨が降るぞ降るぞと天気予報が脅かす上に気温全く上がらず、終日家に籠もる。またかよ。

 食堂の「じゅらく」はもはや上野でも見る影もなく、浅草新仲見世店は健在なるも、もはや外国人観光客がその客の大半を占めるに至っておるけれど、元はといえば神田須田町に開いた食堂だったそうだ。
「マリリンモンロー」そっくりさんが「ジュラクに来てねぇ〜!」と温泉宿の宣伝をしていた頃が最盛期だったのかなぁ。

 そういえば「三平」ってのも新宿の戦後の象徴みたいな食堂だったなぁ。今でも残っているんじゃないだろうか。その流れの三平ストアも浅草には残っている。今どき珍しく、デジタル支払い絶無、ポイント絶無の現金払い。それでいて別に安いわけでもなく、LIFEやOKの方が安かったりするんだけれど、何故かいつまでも続いている。魚部門も昔は寿司も安くてよかったんだけれど、出入り業者が変わったらしくて、別に特に取り上げるほどは安くもなんともない。あれでこの激戦区で平然と生き残っているのが不思議だ。

 かつて大柄な人が着るものに困ったら墨田区国技館界隈に買いに行ったらしいが、浅草にも「チドリや」という大判サイズ洋装店があった。ついこの前廃業してここもドラッグストアになった。界隈はドラッグストアだらけになってしまい、よっぽどこの界隈は病人ばかりなのかと思うけれど、実はこれもみんな外国人観光客相手の商売みたいだ。
 外国人観光客相手といえば、近所のおにぎり屋に外国人の行列ができるのが日常の景色になった。おにぎりなんてよくもまぁ外国人が食べるよな?その隣の大学芋屋の行列には流石に外国人はいないけれど、それも時間の問題かも知れない。あれだって気がついてしまったら外国人に取り込まれてしまいそうだよ。昔は外国人は鯛焼きなんかに目もくれなかったのに今じゃ食べているのを見るからね。

 もうそろそろ、最期の冥土の土産旅行を計画するべき時期かもしれないなぁ。



 ところでその「塊」なんだが、いわゆる「団塊の世代」の始まりは1947年生であって、それまでの年次とは明確に異なっている。そもそも1947年生まれは約2,679,000人といわれている。1952年生まれまでは200万人を超えている。しかし、1946年に生まれた人数は1,576,000人にすぎない。
 1947年に生まれた連中が高校に入ったときには文部省の第2回指導要領全面改訂は基礎学力の充実・科学技術教育の向上を謳って大きく様変わりした。これで1946年以前に生まれた高校生は大学受験浪人をしづらくなった。入試の中身が変わってくることが予想されたからだ。これもあとを推すことになって「団塊の世代」はますます目立つことになった。

あれから13年

 もう13年も経ってしまった。あの日は京都についてホテルに入ったところで揺れを感じたんだった。それからテレビに釘付けだった。
 双葉町では未だに85%が帰還困難区域のままだそうだ。土曜日のTBSテレビの「報道特集」を見て打ちのめされた。放り出されて餓死した家畜の骨が無惨だった。13年も経てば家は崩れ、樹木に埋もれてしまう。それでも、まだ、原発を動かそうとする彼らの頭の中はどうなっているんだろう。ALPS処理をして出てきた放射能汚染そのもののスラリーをどうするのかも目処が立っていない。デブリの取り出しなんて全く目処が断たない。それで、それでいったいどうするっていうんだろうか。頭が悪いのか、あるいは人間がおかしくなってしまっているのか。



 昨日歩いていて気がついた小さな花たちをマクロレンズを付けたカメラで追いかけてみたけれど、そりゃあんた、なかなかうまいこといかないのである。人目をはばからず、地面に腹ばいになって撮りたいくらいだけれど、そりゃいくらなんでもやめたほうがいいだろうと思って諦めた。
 地元民の散歩道である公園にまで外国人の観光客の人達が入ってくるので、なかなか落ち着かない。満開になったわずかにあるオオカンザクラのまわりに似合わない着物姿の外国人観光客の人が記念写真を取るために、順番待ちをしている。

 ミモザ真っ盛りの蔵前神社の境内には今日は100人近くの人達でわんわんしていたそうだけれど、そこにまで外国人観光客がやってくるのだそうだ。一体、どこで情報をキャッチしてきたんだろう。さすがSNSの時代は油断はならないねぇ。


 森永卓郎の「書いてはいけない」はもうすでに2刷、3刷をかけているんだと森永卓郎が「大竹まことのゴールデンラジオ」でいっていた。ひとり出版社がガボッと一儲けできるだろうか。

日曜日 晴れ 冷たい

子どもの野球

 天気晴朗なるも、空気は冷たく、ホッカイロを貼ってこなかったことを後悔する。
流石に日曜日だから野球場では子どもたちが試合をやっていた。
よくもまぁ、こんな小さい子たちが投げてストライクが入るものだと感心する。
たくさん練習して、MLBへいって思いっきり稼ぐ子が出るかなぁ。


私が子どもの頃はあちらこちらに広場というのか、空き地というのか、そんなのが点在していたから野球をやるにも困らなかったし、四六時中ゴロベースとか、テニスボール(赤M)のワンバン野球、三角ベースなんてのをやっていたけれど、せいぜい軟式で、硬球を使って野球をやっている子どもなんていなかった。それが今ではリトルリーグなんてのがあって、「かっきぃ~ん!」と音をさせて打っている。すごいよなぁ。30年前に豪州にいたときには、彼の地のリトルリーグではすでに女の子も普通に混ざってやっていた。日本では普通に混ざってやっている子は今でも少なさそうだ。いることはいるとは聞いたことがあるけれど。怖くないのかなぁ。

 私はスポーツは大好きだけれど、自分自身は実に悔しいことになにをやらせてもうまくならなかった。そういうやつってのはいるんだよね。飛び抜けてうまい、なんてものはスポーツに限らず、なんにもない。その点では実につまらなかった。




 その野球場の外野フェンスの外に、赤い小さな花が点在していて、へぇ、こりゃ面白いなぁとかがんで写真にした。よく見ると単純な構造をしていない、ちょっと変わった花だった。うちに帰って花の名前を調べてくれるアプリにかざしてみたら、これがホトケノザだっていうんだよね。名前は聞いたことがあるけれど、こんな花だとは思いもよらなかったから、びっくりした。しかし、春の七草として知られている「ホトケノザ」とは全くの別物だというから、私が聞いたことがあるのはそっちの方だ。それはキク科だけれど、この赤い花はシソ科だという。

鯖寿司を買って帰って昼飯にした。


そうだ!今日は東京大空襲の日だった。

そういうことかあ

天気晴朗なれど西からの冷たい風強く

 なにしろ初版4万部だぁ〜!と著者本人がラジオで豪語していたからというのもあるけれど、癌と闘いながらラジオ出演を積極的に続ける森永卓郎の応援の意味もあって、これだけは図書館から借り出すのを待つのではなくて、自分で買おうと思っていた。
 ジャニーズと財務省の件は森永卓郎が語るのはわかるけれど、日航123便事件について彼がなんで語るのかと不思議だったのだ。彼は元日航の社員でこの事件について何冊か著作がある青山透子氏を取り上げ、かつてのニュース・ステーションの特番に言及し、明らかにこれは事故ではなくて事件だと書いている。かねて青山透子氏の著作を読んでなぜこの著作が多くの人の注目を浴びないのか、不思議でならなかったけれど、考えてみたら、自衛隊、そして国がこれを虱潰しに潰してきてもおかしくないわけで、触れるマスコミもほとんどいないのだから注目を浴びるわけがない。
 国は森永卓郎の指摘に対して極力無視を決めるだろう。しかし、細くても未来永劫これを伝えていくのは、JFK事件とともに絶やしてはならないのだ。

籠もる

ベランダの花にも春は来る


朝方やたら寒く、ふと外を見ると、隣のお寺さんの屋根の端が雪で白くなっていて、外に出る気は全くせず、ゴロゴロと家の中に引きこもっていた。

 もはや全く足を洗ったバンド絡みの知人から「FBの友人であなたの友人とつながっている人がいる」とメッセージが来た。あれ、本当だ、どういうつながりだろうと、私の友人に聞いたら高校の同級生だというんだけれど、バンド絡みの知人はその人とは月に一度の赤坂でのカントリーバンドのライブで、必ずやってきて唄う人なんだというんだね。面白い世の中だ。

訃報

www.jiji.com


五百旗頭真(いおきべ・まこと)神戸大名誉教授(日本政治外交史)が3月6日午後4時51分、急性大動脈解離のため神戸市内の病院で死去した。80歳」

 自分がこの歳になると、五百旗頭の80歳はまだ若いじゃないか、という気になってくるから不思議だ。


news.yahoo.co.jp

「3月1日、急逝硬膜下血腫により永眠」68歳は若い。