ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。


 雨が降るぞ降るぞと天気予報が脅かす上に気温全く上がらず、終日家に籠もる。またかよ。

 食堂の「じゅらく」はもはや上野でも見る影もなく、浅草新仲見世店は健在なるも、もはや外国人観光客がその客の大半を占めるに至っておるけれど、元はといえば神田須田町に開いた食堂だったそうだ。
「マリリンモンロー」そっくりさんが「ジュラクに来てねぇ〜!」と温泉宿の宣伝をしていた頃が最盛期だったのかなぁ。

 そういえば「三平」ってのも新宿の戦後の象徴みたいな食堂だったなぁ。今でも残っているんじゃないだろうか。その流れの三平ストアも浅草には残っている。今どき珍しく、デジタル支払い絶無、ポイント絶無の現金払い。それでいて別に安いわけでもなく、LIFEやOKの方が安かったりするんだけれど、何故かいつまでも続いている。魚部門も昔は寿司も安くてよかったんだけれど、出入り業者が変わったらしくて、別に特に取り上げるほどは安くもなんともない。あれでこの激戦区で平然と生き残っているのが不思議だ。

 かつて大柄な人が着るものに困ったら墨田区国技館界隈に買いに行ったらしいが、浅草にも「チドリや」という大判サイズ洋装店があった。ついこの前廃業してここもドラッグストアになった。界隈はドラッグストアだらけになってしまい、よっぽどこの界隈は病人ばかりなのかと思うけれど、実はこれもみんな外国人観光客相手の商売みたいだ。
 外国人観光客相手といえば、近所のおにぎり屋に外国人の行列ができるのが日常の景色になった。おにぎりなんてよくもまぁ外国人が食べるよな?その隣の大学芋屋の行列には流石に外国人はいないけれど、それも時間の問題かも知れない。あれだって気がついてしまったら外国人に取り込まれてしまいそうだよ。昔は外国人は鯛焼きなんかに目もくれなかったのに今じゃ食べているのを見るからね。

 もうそろそろ、最期の冥土の土産旅行を計画するべき時期かもしれないなぁ。



 ところでその「塊」なんだが、いわゆる「団塊の世代」の始まりは1947年生であって、それまでの年次とは明確に異なっている。そもそも1947年生まれは約2,679,000人といわれている。1952年生まれまでは200万人を超えている。しかし、1946年に生まれた人数は1,576,000人にすぎない。
 1947年に生まれた連中が高校に入ったときには文部省の第2回指導要領全面改訂は基礎学力の充実・科学技術教育の向上を謳って大きく様変わりした。これで1946年以前に生まれた高校生は大学受験浪人をしづらくなった。入試の中身が変わってくることが予想されたからだ。これもあとを推すことになって「団塊の世代」はますます目立つことになった。