ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

経団連・御手洗・ビジョン

 ま、誰がどんなことを云おうと別にそれが既定の路線になるわけではないのだから、自由に発言したらよいと思う。しかし、「消費税は2011年度までに、2%程度引き上げるべきで、その後は2012年度以降から2015年までの間に消費税をさらに3%程度引き上げ、最終的には10%にするべきだ。さもなきゃ、社会保障以外の歳出を毎年4.6%程度削減することが必要」といい、「法人税の実効税率を30%程度の水準まで引き下げる」と提案(Asahi.net 2007年01月01日12時45分)。
 相手にするまいと無視するつもりでいたんだけれど、段々腹に据えかねてしまった。あぁ、寝覚めが悪い。
 「少子高齢化社会の進展で労働力人口は2015年までに400万人減少すると予測されているが、御手洗ビジョンでは高齢者や女性の雇用を促進することなどで労働人口の減少は100万人程度にとどめられ、“労働力供給面からの成長制約は軽減される”(FujiSankei Business i. 2007/1/1)」といっているんだ。高齢者や女性を格安の社会保険なしで雇用するという構想に違いない。そうじゃなきゃ儲からないもの。
 ま、利益集団が主張するのは勝手。昔から春闘やボーナス闘争で労働組合が要求を主張する時だって、そうやって結構ブラフをかけて主張するんだからね。だけれども、このおじさんたちのグループは金をちらつかせて政権与党に無理強いするという点で、労組のそんな要求とは全然話が違っている。その上、あいつらがまたこっちの云うことにへいへいとくっついていくんだ。裸同然の衣装で唄って踊るのを「表現の自由だ!」といっているのとはわけが違う。

朝起

 正月三日 箱根駅伝 往路開始 早朝熱戦 学生勝負 電視狂騒 音箱冷静 夫婦凝視 年賀返事 遅々運筆 必要作業 切手購入 葉書投函 天候寒々 睡眠不足 外出躊躇 嗚呼嘆息 短足短身 歩行面倒 自転車寒 外出取止
 そんなことを云いながら結局年賀状を出さなきゃならないんで、今年に入って初めて家から出る。寒い、寒いと思いながら万全の防寒支度で出かけると、意外や意外。歩けば歩くほどぽかぽか暖かく、終いには汗をかく。歩いて15分ほどかかる大きな郵便局へ出かけると郵便物扱いだけ開いている。とはいえよく見ると局員の男性が二人いるだけ。75枚の葉書に50円切手をぺたぺた貼り付けるうちに暑くなる。ポストに入れようとすると二つ投函口がある。昨年中であれば、年賀状専門の口があっても当たり前である。年賀状は年が明けて届けなくちゃならないので到着日指定扱いしなくちゃならないから。しかし、年が明けると二つの投函口がある理由がない。「どっちに入れればいいの?」と聞くと「どっちでも良いです」と素っ気ない。そりゃどっちでも良いわけだ。それよりも“なんでこんな日に俺だけ出勤なんだよ”の雰囲気が満ち満ちている店員さんだった。そりゃそうだ。ご苦労様。スーパーの二日からの営業なんて要らないんじゃないの、といったその口がやっぱり助かったと云ってしまうわけだ。
 ついでに買い物があるので浅草に行ってみると、いやいや、その人出の凄いこと。雷門の前の通りは歩行者天国になっているのは知っていたけれど、馬道の通りまで歩行者天国になっている。できるだけ人混みのワンブロック外を歩いていく。とてもそんな人混みの中まで立ち入る元気はない。家に帰ってくると汗をかいていて下着を着替えると云うほど暖かかった。

3月 真打ち昇格

 3月から落語協会に5名の真打ちが誕生する。その中で春風亭朝之助が六代目春風亭柳朝を襲名する。先代の柳朝といえば、早くして死んだ、フランク・シナトラと共演したのが大の自慢だったあの柳朝である。誰が跡を継ぐのかとなかなか聞こえてこないのをいぶかしく思っていたんだけれど、まさかふたつ目からの真打ち出世で名前を継ぐ噺家がでるとは思わなかった。確かに名跡を継ぐのには膠着状態になってしまって決め手がなかったことは確かだ。しかし、こんなことになるとは思わなかった。朝之助の師匠である一朝が先代柳朝の一番弟子という関係。

今日の秀逸盤

  • 生誕100周年、没後20周年特別企画 「The Very Best of The Count Basie Big Band and Friends」(2004/8/4) ビクターエンタテインメント、B0002CHPB8:後半のエラ・フィッツジェラルドのSweet Georgia Brown以降のライブの5曲は音の良さ、そしてその臨場感、涙が出そうである。現場にいたらさぞかし鳥肌が立ったことだろう。この世の中に音楽があることをこの上なく感謝しそうな一枚である。drumsはほとんどButch Miles。

文才

 確か山本一力という時代小説作家は借金を返すために時代小説を書き始めたといっていたように記憶している。それまで彼の文才には誰も気がつかなかったのだろうか。そんなことはかすかに云われてはいたんだけれど、ご本人がそれを真剣に取っていなかったと云うことなんだろうか。私は彼の小説を全く読んだこともなくて、先日の「まとい大名」が初めて手にした彼の本である。その最初の部分をちょっと読んでみて、なるほど、作家というものはこんな風に書くものなんだと今更ながらに考えた。そんな時に36年前に同期で入社した友人からいつもの様に年賀状を受け取った。かつてはわざわざこいつは洒落たことを考えて書いているんだろうと「すごいじゃん!」と半ば冷やかしついでに云ったりしていたものである。それが近年ほとんど彼と会うことをしなくなって、年に一度の年賀状のやりとりしかしなくなってみると、奴の書くほんの少しの,いわばエッセーのようなものが実に気が利いていて面白かったり、感心したりするのである。ひょっとするとあいつは天才なのかも知れない、柄に似合わず。