ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

筑紫哲也 News 23

 マンデープラス「知られざる医療刑務所 精神障害受刑者の償い治療の現場」を寝床の中で音声だけを聞く(SONYのSRF-T610Vという3バンド名刺サイズラジオ)。途中だったので良く覚えていないが、北九州にある医療刑務所の話だったと思う。86歳の終身刑受刑者は既に認知症となっており、刑に服して既に56年という。ここまで来たら刑務所に入っていることの意味がもう既にないのではないかという疑問がわく。その大半を占める有期刑受刑者は刑期満了近くなると元の住所に近い刑務所に移送され、出所の準備をするが、出所しても生活を送る目処のつかないものは精神病院への措置入院と云うことになるのだそうだ。しかし、これまで50数名が出所して措置入院と云うことになったのは10数名だということだった。普通の刑務所でも、知的障害者、あるいは高齢化して介護の必要な受刑者の存在が非常に重いという話をかつても聞いたことがある。「犯罪を犯すと云うことが既に人間を失うと云うことでもあり、人間性を取り返す、ということを目標としている」と軽作業を指導する刑務官が語る。ここでは、医師、看護師の数は限られ、刑務官の役割は普通の刑務所に比べるととてつもなく大きい。

リタイア後

 会社員生活をリタイアしてから今年で9年目に入っている。そろそろリタイア後の最初の総括くらいはしても良いのではないかという節目が来ているような気がする。それは去年の終わりくらいで大きく生活のペースが変わったからでもあるだろう。
 この8年間で、私は多分それまで生きてきた人生で知ったこととほぼ重複しない分野の知識ばかりに手を突っ込み、食い散らかしてきたのかも知れない。しかし、それは人間として、この地域を拠点に暮らす市民として、知らなくてはならない、あるいは知るべきであった分野ではないかという気がする。それまでは金を稼ぐために必要だと思われる分野の知識を身につけることが至上の命題であって、それ以外の知識は本当に遊びでしかないという認識の元に接していたに過ぎなかったような気がする。だからほんの少し重なる分野でもあの時期に手にしていながらそれを拡げなかったので、あの当時には容易にアプローチできたであろうことをみすみす見逃し、今になって苦労するというものもある。
 しかし、当時私が必要としていた知識はほとんど国際的な工事契約あるいはその実行についての知識であったからリタイア後に何か役に立つものがあったかといえば、ほとんど見つからない。唯一役に立っただろうと思われるのは言語的な知識で、これは確かにどんな分野に興味を持ったとしても役に立つものではあった。特に自分の場合には少なくともその切換時には役に立った。
 もう一つ、スキルとして役に立ったものとしてはキーボード操作がある。新入社員として配属になった先で、まず最初にこれだけは最低限できるようにしてくれと云われたのは英文タイプライターを打つと云うことだった。勿論当時パーソナルコンピューターどころかワードプロセッサーすらない。しかし、私が配属になった職場では海外の取引先との、あるいはそこから派遣されてきている駐在員との正式なやりとりは全て英文の書面で行われていた。また、今はすっかりなくなってしまったけれど、メールに相当するものでテレックスが使われていた。当初専門の担当者として女性社員が居たけれど、時間を問わずその操作が要求されると係員全員がそれを操作することになる。従って、英文タイプライターは必須のものであった。ポータブルタイプライターを多分最初のボーナスで買ったと思う。シルバーリードというメーカーのものだったような気がする。毎日毎日昼休みに弁当を平らげてしまうと、銀座にあったクロサワが発行していた教則本を開いて、ぽつ、ぽつとポジションの練習をした。私のあとからやってきた後輩たちもみな、私と違って誰も彼も優秀な大学を卒業してきた連中だったが、みんなまずはそのタイプライターの練習から始まった。
 多分私の性格から云ったら、あの時、あのように強制してタイプライターのオペレーションをたたき込んで貰っていなかったら、あとからそんなことをするわけもなく、今頃、パソコンを前にして、キーボードをいじるなんて云うことに手を染めることはきっとなかっただろうことは容易に想像がつく。その意味では、あの部署に配属になって本当に今となっては感謝をしている。
 リタイア後、しばらくしてあるNGOの事務局長をされている元銀行勤めをされていた女性のお話をお伺いしたことがある。その時、その方は大学生を前にしていかなる活動をしているのか、なぜそのような活動が必要なのか、そしてどんな悩みがあるのかというお話をされた。そのもの静かな語りの中に本物の輝きを感じて学生の中にはその後そうした活動に入っていく人たちも散見された。その方が実は大学を卒業したばかりの方に手伝って頂くのは勿論良いのだけれど、本当に今必要なのは社会で様々な経験と知識を積んだ人なんだと云うことを仰った。つまり、海外で手助けを必要としている地域に入るにしても、どうしても必要となるのは現地でのネゴ能力、そこへ持ち込む資機材の搬送の知識、処理能力なんだというのである。この時はとても気持ちとしては傾いた。だけれども、自分がやり始めたことを中途半端にして放り出すことに躊躇した。今になってみれば、まだ体力も気力もあったあの時にそこへ踏み切っていたら随分と違っただろうなぁと云う気持ちはある。ものすごく面倒で、充実した気力が必要な作業であるだろうことは容易に想像がついた。
 幸いなことにまだ少し、ものを考える(とは云ってもろくな方向性にならないかも知れないけれど)気力ぐらいは残っていそうだから、踏み込みかかった分野の知識をもう少し踏み分け、嗅ぎ分けて行こうとは思う。そしてほんの少しの文章にまとめてみようとは思う。これからリタイア後第二期のはじまりということにでもしておこうか。

荒木一郎

 昨日ひょんなことからかつて妙に親しみを感じていたことのあった荒木一郎を半年ぶりくらいに思い出した。で、こんなマジッククラブなるものを主催しているんだということを知った。そういわれてみるとかつていろいろあったあと出演していた映画でそんな指さばきを見せたという噂は聞いたことがある。そうか、マジシャンだったのかぁ。そこまでは良い。こちらのサイトを見て驚いた。相変わらずなんですなぁ、あの方。

終わり

 午前中に税務署にひとっ走り。正味40分ほどで終わる。最後に提出に並んでいたら自民党の区議会議員が私の二人前に並んでいた。一人前のおっさんは列を作って下さいと描いてある印にずっと逆らってはみ出したままずるずると前に行く。いったい何をこのオヤジは考えているのか。お前だけ特別じゃないんだよ。きちんとみんなの列にならばんか、このオタンコナス。照れ?傲慢?無知?今日は珍しく自転車で行ったのだけれど、道を譲っても譲られた人は一切挨拶なんてしないのが普通になっているんだね。いつからこうなったんだろうか。もうこういう風習はどんどん退歩する一方だろう。みんな口をきかなくなり、無表情になり、何かを伝える相手はどんどん狭まっていくのだろう。自転車に乗ったのは一ヶ月ぶりくらいだったのだけれど、ラックから降ろしてみたら前輪の空気は全く抜けてしまっていた。今までこんなことはなかったんだけれども、パンクでもなさそうだし、なんでこんなことになったのかといぶかしい思いを抱えながらポンプを押す。どうやら連れあいに聞くと徒歩と使う筋肉が違うし、膝に負担がかからないからそれはそれでよいのであるという。そういえば連れあいはここのところ膝が痛いと嘆いている。
 お知り合いの娘さんがいよいよ歌手デビューしそうで、今度はなまのバックでライブをするんだそうだ。ほんまもんになってよかったねぇ。今月はつきあうライブがいくつかあるのだ。

参議院予算委員会

 答えたくて仕方のない柳沢伯夫共産党の小池が「お呼びじゃない!」って云ったのには笑った。今度は「ハウス!」といってみたらどうだろう。柳沢は失地挽回しなくちゃならないのだろうなぁ。やればやるほど、なんだか情けなくなるのになぁ。質問者が「総理にお伺いします!」といっても安倍を差しおいて出てきてはおろおろ一般論で終始して時間を稼ぐ。サッカーだったらファウルを取られるよ。
 伊吹はテレビが映しているのも承知の上で天井を仰いで思いっきりあくびをしてみせて国民に大胆にも居直ってみせる。こんな奴が教育を語るのだと思うと、ほとほと情けない。
 安倍の論理から行くと少なくとも3割の人間が非正規雇用で行きたいといっているからそういう人に利するためにも雇用の多様化を図るんだと云うんだけれど、この論理で行くと、定着した生活なんてイヤだといっている人がいるからホームレスがなくならなくても仕方がないといっているのと大差ない。なにしろ金を持っている人間には優遇、そうすりゃ選挙に勝てると思って居るんだから、私はこの人たちを許す気には到底成れない。
 生活保護申請に対する福祉事務所のあり方は君らが思っているほど前向きでないことは明らかだ。リバース・モーゲージ制度は一度大きな壁にぶち当たったことを解説してみなくちゃならないだろう。いいなぁ、お気楽政府は。それにしても福島瑞穂は時間がないのはわかるがあまりにも盛り込みすぎ。今度は小池にレクチャーして貰った方がよい。だからといって委員会室でエヘラエヘラ笑う山本一太は許されない。

250円弁当

 【写真は他の日に購入せし「酢鶏弁当」なり。】
実は今日も250円弁当を買ってきたんだけれど、なんでこんな値段でできるのか実に不思議。揚げ物は買ったことがないけれど、肉じゃが(というかジャガイモの煮物といった方が正確)はメイクイーンが4個も転がっている。あとはいつも一緒でマカロニのただ茹でたものと漬け物だけ。これだけではバランスがよいとはいえないけれど、結構食べられるのだ。種類はどれほどあるのか検証していないので知らないけれど、今日は甘酢の匂いに吊られたなぁ。それでいながら(多分チキンの)甘酢あんかけ弁当を買わなかったんだよなぁ。
 どうもいろいろなところで250円弁当というのは売られているらしくて、2007年02月06日13時53分のAsahi.comでも京都の「250円弁当元気や」は京都市内に6店舗を展開していると云うし、名古屋市のスーパー「生鮮食品館サノヤ」でも250円弁当を一日800食を売っているという。市川市に事務所を置く経営コンサルタント、渡辺一紀氏はこれまでに全国に十数軒を仕掛けたという話だ。それにしても250円といったら普通のスーパーでは白い御飯を一人前買ってもそんな値段になりそうだ。どうしてやっていけるんだろうと頭をかしげながらいつも買う。「採算が合うように事業化するのは簡単ではない。事業主のやる気次第だ」とくだんのコンサルタントは云っているというが、並大抵ではないだろう。
 昼飯時に通りかかると列ができていて、これが週末なんかになると近所の娯楽施設にやってくるおじさんたちでわんさか人がたかっているという雰囲気である。私は買ったことがないけれど、揚げ物の単価も安いらしくて、先日なんかは私の前にいたおじさんがコロッケをといったら、すみません、もう全部売れちゃっているんです、という。あとからおばさんが取りに来てごっそり持って帰った。あれどこかで商売してんじゃないだろうなぁ。
 ちょっとググって見たら大変だ!やたらみんな250円弁当のことを書いているし、2チャンにもスレがあるくらいだ。ここの弁当屋さんはず〜っと昔から弁当屋だったんだけれども、ある日気がついたら大きな字で「250円」と書いてあって、「本当かよぉ・・・」とずっと眉に唾をつけていた。で、先日思い切って買ってみたらとてもシンプルなんだけれど、とにかく安いからと、もう既に5-6回は買ったかな。あれ以来、どこで弁当見ても高く思えちゃうんだよなぁ。自民党は何も見ちゃいないけれど、下々はどうにか暮らす術を捜す。それにしてもこの金額で成り立つのには何かありそうだけれどなぁ。

浅野史郎

 正式に立候補を表明したそうだ。某不良小説家のコメント曰く(勿論テレビの細切れ報道だけれども)「あの人の売りは福祉だそうだけれども、東京の環状道路を整備するのだって、立派な福祉だ!」このセリフに対してはいくつかの対応の仕方があり得るんだなぁ。「そうですよ、勿論福祉として捉えても良いのですよ。そして教育も、住宅対策も、労働対策も全てそう考えて良いのですよ。その観点から捉えることにしましょう。それでも要らないものは要らないのだし、最低限いるものは要るのですよ。ガラパゴスに空振り視察に行くのはどう考えてもいらないと思うけれど。ジャンルわけをどうやってみたところで。」というのもある。
【後述】某不良小説家のコメントその2:「江戸っ子向き、東京っ子向きではないねぇ〜」ってんだけれども、東京生まれじゃない私がいうのもなんなんだけれども、お爺さん、あなたも充分「江戸っ子向き」なんかじゃねぇんでね。ただ、江戸っ子てぇのもいろいろいるよね。なにしろ徳川様から明治になってお越しになったお天子様から、表の大店の旦那、道具箱を持って行っちゃった家守に至るまで、権威てぇものにはすっかり弱くてねぇ、ぶつくさ文句いうのは井戸の周りくらい、あるいは床屋の隅に置いてある白いカバーの掛かったソファーの上に座っている連中くらいのものなんだなぁ。尤も今時、東京で選挙権を持っている人のあらかたは江戸っ子でもないし、東京っ子ったって大学にはいる時にどこかからやってきたか、なんだかんだと東京にやってきた人たちだから、自分は本当は実家のあるあそこの人間なんだよ、と思っているだろう。その証拠にmixiに地元を離れた人たちのコミュニティーがどんどんできているんだよね。