ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

春節

 地元にある大手チェーン系のCD屋さんにいって「ジュリーwith The Wild Ones」のシングルCDをリクエストしてきた。「一週間ほどかかるかと思います」と仰る。これではやっぱりAmazonで買っちゃうことになるだろう。ますますお客が減っていって店が減っていくということになるんだろう。私がいた間にこの店に入ってきた客はわずかに4名で、店員さんはお二人。これならやっぱりその場で入手したい時にはどうしても大きな街の大きな店に行くしかない。一日待てるのであれば、それはもう直ちにネットからAmazonでポチッとすることになる。iTunes Music Storeにあがっていたらそっちで買っても良い。そのままiPodに落とすことができるのだから。
 こうして見るとCD店の存在価値というのはあからさまになくなってくる。そういえば私が最初に探すのはYoutubeで、次がiTunes Music Store。それからAmazonとなって最後に出掛けていく。今回はどうしても店頭で買いたいという事情があるので、ことさら忍耐をしている。
 その帰り道、10代と覚しき中国から来た女性の20人ほどの集団がほぼ2列になってくるのにすれ違う。50代の男性ひとりと20代の男性ふたりが付き添っている。一体どんな団体なんだろうか。なんだかまるで学校の遠足のような雰囲気だ。
 家に帰ってくるとテレビが今日は旧正月で家電量販店には中国からの団体客が詰めかけていてどんどん売れているという。炊飯器が人気があるのは分かるけれど、それはもうずいぶん昔からの話で、なんで中国で生産されていないんだろうかと不思議だ。ひょっとすると日本製の方が性能が安定しているということか。それにしても今時の炊飯器の値段って馬鹿にならないらしい。ニッパチという言葉は家電業界にはなくなったかな?
 これからはもっともっと中国からの観光客がやってくるんだろうなぁ。物価もどんどん下がってきているからね。

追記:100215:立教大観光学部の杜国慶先生がテレビに出てこられて炊飯器について解説していた。久しぶりにお目にかかった。

長いっす

 私はドーナツ盤世代だからなのか、最近の曲はやたら長く感じる。イントロだけだって長いものが目立つ。どこからどこまでがAメロなんだかよく分からない・・・あ、それは時代の流れについていけないってことなんだろうか。
 やたらと黒玉の髭の生えた音符だらけの歌にはとてもついていけない。息が継げなくなる。のんびりがいい。ところが長唄のようにひとつの音を延々とメロディーをつけられちゃうともう待っていられない。こうして振り返ると歌はどんどん白玉から黒玉の羅列になってきているということか。このままいくと将来はどんなことになるんだろう。

省略

 St.Valentine's Dayを「バレンタイン」という表記で表現してしまう日本語は曖昧、且ついい加減で、それが文化を表しているという便利さ加減。
 良い文化だといっているのか、良くないといっているのかが非常に曖昧なこんな文章を書く自分の日本文化度がとても嬉しい。
 (なんだか書き方がどんどんtwitter化しつつあるようだ。)

土星

 米航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関ESA)は11日、土星の南北両極で同時にオーロラが光る様子を、ハッブル宇宙望遠鏡で撮影したと発表した。
(中略)
 土星は太陽の周りを約30年かけて一周する。土星の自転軸は傾いている。このため、土星の公転周期に2回訪れる地球でいう秋分春分に当たる時期だけ、土星の両極に同時に太陽の光が当たる。 (Asahi.com 2010年2月14日16時9分)

 こういう記事を読むと次にこのチャンスが来るのは15年もあとのことで、その時にはもう自分はいない可能性が高いなぁと思うとなんと人生なんて短いものなんだなぁと改めて突きつけられるような気がする。(実際の写真は昨年の1-3月に撮ったものだという。)

柳家我太楼

 昨日は町屋の荒川区の施設、ムーブ町屋の3階ホールで柳家我太楼の独演会。年に二回のこの会を支えているのは仏教関係の皆様だそうだ。40歳の友達が声を掛けてくれて、久方ぶりに町屋にいった。三河島から町屋にかけての商店街は意外と元気そうで東京のポケットになっているようなところはほとほと不思議だ。町屋は昔から較べると驚くほどにビルが建ち、人で溢れていた。
 ムーブ町屋の向かいにTSUTAYAがあったので飛び込んで「ジュリーwith The Wild Ones」を買おうとしたら店員さんが検索をして「品切れです」と教えてくれた。当初の読みはこんなに売れるはずはない、というものだったのだろうか。
 300人弱収容のこのホールはほぼ埋まっていて多分少なく見積もっても250人は入っていただろう。ここのホールは当時大流行だった客席が動かせるタイプ。この類の客席の欠点は同じ列に座っている客が座り直すと響くところかなぁ。
 仲入りの時に下の方から、歳の頃なら70代中盤と覚しきおばさまがあがってこられた。どう見ても昔の職場の大先輩である。いやいやそんなはずはない、あの方がこの界隈におられるとは聞いていない。その方は私が30代になるかならないかの頃の役員秘書だった方で、どう見てもそっくりだ。ずーっと見つめてしまった。すると私の後ろにお座りになったので、意を決して「金子さんじゃないですか?」とお伺いした。するときっぱりと「いや、違います」と仰った。そうなんじゃないかという疑問を抱えたままになるのは後味が悪い。しかし、こう見事に否定されるというのも恥ずかしく、後味が悪いものだ。どうしようかと考えたけれど、撥ねた時に後ろを振り返って「先ほどは失礼をいたしました、あまりにも似ておられたものですから」とお詫びした。世の中には三人そっくりな人がいると良くいわれるけれど、こんなにそっくりなのは心底驚きだ。お二人を引き合わせたい。絶対にお互いに驚かれるはずだ。
 前座は我太楼と同様に権太楼の弟子なんだけれど、33歳の「柳家おじさん」という。なんちゅう名前なんだろうと思ったけれど打ち上げで旦那衆に呑まされても頑張って付き合っていて健気。前座噺の「平林」。間には山形弁ネタのロケット団津軽弁津軽三味線太田家元九郎を挟んで、我太楼は強情灸とお見立ての二席。彼の表情を見ているうちに想い出したのは昔いた音楽ものトリオ芸人なんだけれど、それを説明しようにもその名前を想い出さない。顔だけは出ているというのに。
 友達と二人でそのまま呑みに行く。その帰路、どうもうちまで歩きにくいなぁと思っていたのだけれど、家に着いてみてその原因が分かった。要するに呑み過ぎだったのだ。時間を忘れて呑んでいた。