facebookにも書いた。
ちょっとテレビをつけたらBS朝日で「ベ—スボ—ル・イン・カウラ」という番組が残り5分だった。あれっ!なんでこんなところでこんな重要なドキュメント番組が人知れず(知らなかったのは私だけだろうか)放送されているんだと実に残念だった。カウラというのはオーストラリアのNew South Wales州の内陸にある街の名前で戦時中はここに枢軸国の捕虜の収容所があった。
「戦陣訓」の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」を引き合いに出して日本人捕虜を煽った帝国軍人がいて、「少しでも騒ぎを起こして敵に損害を与えるのだ」と蹶起したけれど、監視所のマシンガンに何人も殺されたという事件が起こった場所だ。
ほとんどの捕虜が偽名を使っていて、戦後帰ってきた元捕虜の人たちは口を閉ざして死んでいった。しかし、何人かの方々が証言を残している。この番組にも何人かの方が登場したようだ。
ネットで検索してみるとこの番組はKBS瀬戸内海放送の制作で2011年1月9日の25:55から放送された「テレメンタリー2011ベースボール イン カウラ」の再放送だったようだけれど、どうもその前年にこれに先立ってテレビ朝日系のニュースショー枠で取り上げられていたようだ。
取材協力者の中に豪州戦争記念館(War Memorial)の田村恵子さんのお名前を発見。非常に貴重な研究を続けておられる方である。
懐メロ
この歳になってみると1960年代の歌をよく覚えているもんだなと自分でも驚く。やっぱり多感な頃に接していたものは歌えちゃうし、それに伴う諸々のことがその曲と一緒によみがえってくるからなんだろうなぁ。
懐かしのメロディーという言葉がいつ頃から使われるようになったのかは知らないけれど、死んだオヤジがよくテレビでそうした番組をしつこく見続けていたから彼らがどんな唄を聴いてきたのかは良くわかった。あのオヤジが歌が下手な割には音楽が好きだったのはとても意外だったけれど、昔は♪小皿叩いてぇ、チャンチキおけさぁ♪だったから、誰も彼もがちゃんとしたキーで歌ってなんていなかった。
そういえばあぁいう昔の歌って「ラジオ深夜便」でも少なくなってきたなぁ。
そういえばかつてはよく路地なんぞに「放歌高吟を禁ず」なんて書いてあったし、確かに夜中になると酔っぱらいがなにやら大声出して歌いながら歩く、あるいは学生が応援歌を声高らかに酔っぱらって歌いながら通るなんてことがあった。今はそんな奴はほとんどいない。これが進歩って奴なのか、マナーを守るようになったというのか。そういえば立ちションしている奴なんてよっぽどのごみごみした路地でもない限り、お目にかかることがない。昔は平気だった。親子二代にわたって自死してしまった国会議員のオヤジが国会構内で立ちションしたくらいだからな。
今朝の夢
長くて凄い夢だった。
会社にお客がやってくる。「でさ、あの花束を贈るっていっていた話はどうなったの?」そこで思いだした。そういえばこの客がかわいがっている女性タレントに折半で豪華花束を贈っておこうといっていたんだっけ!いけねぇ。その場を繕ってあぁでもない、こうでもないと。
で、会社の女性達に一体いくらくらいの花束がどれくらいのものになって感動を起こすかと聞いている。これも如何かと思うのだけれど、その時に窓から外に眼をやるとそこにはなぜか紅白のテープが手すりに巻かれた船が見える。上にいる作業着の人間が小旗を振っている。あ、進水式なんだ!と思った途端船が滑り降り始める。「進水だ!」と叫んだその時だ。その滑り降り始めた船体が艫(とも)のブロックがガクンと折れたと思ったらそこから横倒しになりながら崩れていく!その瞬間、私は「建造保険だ!」といった。
あぁいやだ。事故を心配せずに金を心配した自分だった。
違和感
NHKのテレビのニュースが先日のアルジェリアでのテロ事件を改めて報じていた。
その中でも語られていたのだけれど、あの現場になんで派遣社員がいたのか。継続して受注をしていくためには現場コストを下げねばならない。そのためには日本人スタッフも派遣社員として雇う。これはつまり、日本人がこれまでの生活のレベルを下げていくということによって企業がなり立っているということを意味している。入札に勝つためには技術力もさることながら入札価格は決定的な要素となることはいうまでもない。
企業がどんなポジションに立とうとしているのかとは全く別に、日本人の生活レベルはどんどん下がっているということでもある。なんたって収入が下がっていっているってことだから。それでもインフレにしちゃえばいいっていう考えはどうしても納得ができないのだ。
元社員の70代がこのニュースの中で語るには「自分のため、会社のため、国のために」海外に仕事にいっていたと。驚いた。「お国のために」だったという意識がこんな処にも顔を出すのか。