ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 昨日の夜から今朝にかけて、何人かの私の若い友人たちが「今戸橋の紫陽花が綺麗だ!」と書き込んでいるのをみて、よぉ〜し!点検してきてやろうじゃねぇかという気になった。こういう時は逡巡したらもうダメで、がっと立って、がっと出かけなかったらタイミングを逸する。
 結構日差しは暑そうなんだけれど、湿気が低いのか日陰に入ると、風が吹き抜けて割と涼しかったりする。隅田公園の植え込みが一部紫陽花だらけになっているところがあって、そこがもっこりと紫色に染まっている。紫陽花も本当にいろいろな種類があって、その上色がどんどん変わっていくので、どれが種類としての固有の色なのかというもんのはなかなかわかりにくい。咲きかけで途中なのか、もう咲いてしまって終わりなのかもなかなか判然としない。
 もう折角ここまで来たんだからと、錦糸町まで歩く決意をした。それはなんでかというと、昨日ラジオで昼飯代わりにシリアル、それも植物繊維をたくさん含んでいるものをしっかりとりなさい、そうしないとなかなか植物繊維がとれないからと。ましてや昼飯に脂っこいものを食べるのは最低だと。まさに私のことだ。
 錦糸町の輸入食品店だったらそんなものあるだろうという読みだ。
 途中でdocomoショップがあったから入る。二年縛りが今日で終わって明日から新しい二年縛りに入るというから、この際新しいガラケーにでも変えようかなぁと思ったんだけれど、値段を聞いて驚いた。ガラケーでもハードは3.7万円もするんだっていうのだ。二年間の延べ払いにしたら月に1,500円で通信料の940円で、毎月2,500円払うんだって。馬鹿馬鹿しいからやめた。
 錦糸町のショッピングビルの地下に入ってシリアルと250g袋のひやむぎが50円だというので買った。これでまずかったら目も当てられない。
 ゆで太郎で遅い昼飯を食った。480円のおろし、枝豆とげそ天ぶっかけ蕎麦。見た目は合格。蕎麦細すぎる、汁旨くない。
 全部で10,794歩。

「いってない」

 安倍晋三がG7で発言して、各国から知らん顔されたといわれている「リーマンショック前によくにた状況」発言について、安倍晋三はいってないと党内の会合でいったそうだ。
 外務省のサイトにある彼の議長国会見(5月27日)記録にはこう書かれている。

中国における過剰設備や不良債権の拡大など,新興国では構造的な課題への「対応の遅れ」が指摘されており,状況の更なる悪化も懸念されている。
 こうした事情を背景に,世界経済の成長率は,昨年,リーマンショック以来,最低を記録した。今年の見通しも,どんどん下方修正されている。
 先進国経済は,ここ数年,慢性的な需要不足によって,デフレ圧力に苦しんできたが,これに,新興国経済の減速が重なったことで,世界的に需要が大きく低迷している。最も懸念されることは,世界経済の「収縮」である。 
 世界の貿易額は,2014年後半から下落に転じ,20%近く減少。リーマンショック以来の落ち込みである。中国の輸入額は,昨年14%減ったが,今年に入っても,更に12%減少しており,世界的な需要の低迷が長期化するリスクをはらんでいる。
 現状をただ「悲観」していても,問題は解決しない。私が,議長として,今回のサミットで,最も時間を割いて経済問題を議論したのは,「悲観」するためではない。
 しかし,私たちは,今そこにある「リスク」を,客観的に,正しく認識しなければならない。リスクの認識を共有しなければ,共に力を合わせて,問題を解決することはできない。
 ここで,もし対応を誤れば,世界経済が,通常の景気循環を超えて「危機」に陥る,大きなリスクに直面している。私たちG7は,その認識を共有し,強い危機感を共有した。

 これがどうして、そんなことはいっていないに繋がるのか、私の読解力ではとてもついてはいけそうもない。

衝突

 うちの親父とは飯時に良くぶつかったものだ。それはほとんど高校生時代のことだけれど、それは60年代の前半ということになる。つまり前回の東京オリンピックの頃。高度経済成長と今になっていわれているあの時期だ。
 あれは日本に取ってだけではなくて、世界的に見ても非常に大きな節目となる時期だった。全学連を引っ張っていた山本義隆が分厚い本を出すくらいに中身の濃い時期だったと云っても良いか。それは様々な意味においても。
 何しろベトナム戦争だった。あの戦争はアメリカが手ひどい結果を被った戦争だった。対日本の戦争や朝鮮戦争のように、アメリカの圧倒的な武器の力を持ってすればすぐにでもベトナムの共産化を止められるんだと、相手を侮った戦争だった。事実私もすぐにでもベトナムは降参すると思っていた。
 伝えられる戦争の動画はどんどんテレビで報じられ、その悲惨さはそんな高校生の目にも届いていた。開高健を私は戦争ジャーナリストだと思っていた。朝日ジャーナルを手にしていた。
 そんな時にうちの親父の仕事は何かといったら、ベトナムから帰ってくるアメリカの艦船を修理する仕事だった。だから、とても忙しかったはずだ。その忙しかった親父が偶に家族と一緒に飯を食うことになると、当然テレビが午後7時のニュースを流し、戦争の場面を流すことになる。アメリカに半分憧れながら、ベトナムでのやり口に苦々しい思いを残していた男子高校生は反戦的なことを口にする。
 ところがなにをこの青二才が言ってんだと軽い気持ちでオヤジが「この戦争のおかげで飯が食えるんだな!」と言い放つ。ものすごく向かっ腹が立った。こんな見解をなんの悩みもなく言い放つオヤジを許せなかった。多分大学を出るまで私は積極的にオヤジと口をきこうとしなかったはずだ。
 今はそのくそオヤジとなっている私が、口を開きたくなくなってくる。

いくつかの

 もしオヤジが生きていたら聞いておきたいことがいくつかある。ま、たいしたことじゃないんだけれど、一匹目の雑種の犬、メリーと二匹目の秋田犬の賢龍はそれぞれ誰から貰ってきたのかってことが一つ。本当にたいしたことじゃないといわれてもしょうがないんだけれど、この二匹、そしてその次のコッカスパニエルのロリーまでは、自分がとても強く印象つけられた犬だったので知っておきたかったのだ。ロリーはオヤジの仕事仲間のお宅が当時としては珍しい、コッカスパニエルのブリーダーをしておられたので、そこからうちにきた。
 晩年、突然実家に神棚をしつらえて、橿原神宮にやたら寄進をしていたらしいのだけれど、一体何があったのだろうかということ。もう70代後半になってから飼っていた犬の散歩だといって実家から1km半くらい行ったところにある神社で永いこと頭を下げていたのを見ていたことがあるんだけれど、あれは一体何をお祈りしていたんだろうかということ。それまで信心なんかに興味を示したのを見たことがなかったし、とても宗教心があるような生活をしていなかったのに。
 昔の写真を受け取ってから、いろいろ考えることしきりなのである。

2016年05月30日のツイート