ほぼ足りてまだ欲 その先

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衝突

 うちの親父とは飯時に良くぶつかったものだ。それはほとんど高校生時代のことだけれど、それは60年代の前半ということになる。つまり前回の東京オリンピックの頃。高度経済成長と今になっていわれているあの時期だ。
 あれは日本に取ってだけではなくて、世界的に見ても非常に大きな節目となる時期だった。全学連を引っ張っていた山本義隆が分厚い本を出すくらいに中身の濃い時期だったと云っても良いか。それは様々な意味においても。
 何しろベトナム戦争だった。あの戦争はアメリカが手ひどい結果を被った戦争だった。対日本の戦争や朝鮮戦争のように、アメリカの圧倒的な武器の力を持ってすればすぐにでもベトナムの共産化を止められるんだと、相手を侮った戦争だった。事実私もすぐにでもベトナムは降参すると思っていた。
 伝えられる戦争の動画はどんどんテレビで報じられ、その悲惨さはそんな高校生の目にも届いていた。開高健を私は戦争ジャーナリストだと思っていた。朝日ジャーナルを手にしていた。
 そんな時にうちの親父の仕事は何かといったら、ベトナムから帰ってくるアメリカの艦船を修理する仕事だった。だから、とても忙しかったはずだ。その忙しかった親父が偶に家族と一緒に飯を食うことになると、当然テレビが午後7時のニュースを流し、戦争の場面を流すことになる。アメリカに半分憧れながら、ベトナムでのやり口に苦々しい思いを残していた男子高校生は反戦的なことを口にする。
 ところがなにをこの青二才が言ってんだと軽い気持ちでオヤジが「この戦争のおかげで飯が食えるんだな!」と言い放つ。ものすごく向かっ腹が立った。こんな見解をなんの悩みもなく言い放つオヤジを許せなかった。多分大学を出るまで私は積極的にオヤジと口をきこうとしなかったはずだ。
 今はそのくそオヤジとなっている私が、口を開きたくなくなってくる。