うちのおふくろは生意気にも高等女子師範を出ている。大正7年だったかの生まれで、うちのオヤジが戦争に行っていた頃、つまり昭和13-16年頃、実家で戦争に行った夫の帰りを待っていたらしいのだけれど、近所の小学校から「師範を出たような人がなにもせんではどうもなりませんなぁ」といわれて代用教員にでたといっていた。
何時までやっていたのか知らないが、まだ私が小学生の頃、田舎のおふくろの実家にいったときに乗ったタクシーの運転手が当時の教え子だったということがあった。それで、おふくろがいっていたことは事実だったのだと確信した。
オヤジが兵隊から帰ってきて横浜に戻ったわけだけれど、その時、おふくろが小学生の頃の同級生だった男性がある日予科練の制服(真っ白だったというから夏だったのか)で、尋ねてきたことを良く語っていた。それが最後だったというのだから、その人は多分戦死したという意味だろうけれど、その話をするときのおふくろは(オヤジが死んだあとだったからか)本当に懐かしそうにするのだった。ひょっとすると初恋の人か?
ところが不思議なことに、うちの親父は戦争が終わるまでずっと横浜の工場で働いていたはずで、空襲にも遭っているはずなのに、そのあたりの話がまったく出てこなかった。戦中の生まれだった長姉がいたのだし、戦争末期にも次姉が産まれているからどんな生活をしていたのかがわからない。