ほぼ足りてまだ欲 その先

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まだ鯨?

 オーストラリア、ノーザン・テリトリーのブルームといえば昔から真珠貝の採取、今は真珠の養殖で名高い。そして真珠貝採取のためにダイバーとして働いていた日本人がいたことで木曜島と並んでつとに有名である。だから、ここには日本人の墓が建っている。その墓のうちの約40基を何者かが壊した。倒したではなく、壊したという報道がなされていた。商業捕鯨の復活を提唱してそのすべてを否定された日本に対する抗議行動かと云われてもいるらしい。もちろんそんなことに全く関係のない単なる嫌がらせとして行われたのかもしれない。
 最近のオーストラリアは1996年の保守連合政権への転換以来、新自由主義保守主義の台頭が著しい。何もこんな所まで話を広げる必要はないだろうけれど、先日のインドネシアでのオーストラリア女性のドラッグ持ち込み容疑に対する有罪判決に対しての抗議の脅迫状の蔓延といい、単純な反対行動が他者を否定する行動に繋がるという傾向が見られることが文明の退化を感じさせる。
 何をいっているんだ、君たちだってついこの前まで、ただただ油を取るためだけでに鯨を追って北半球にまで行っていたじゃないか、と意味のない発言をしてみたい衝動に駆られる。
 それにしても、先日のIWCの会議でも日本が試験操業の拡大、あるいは商業捕鯨の再開に対していくつもの提案を出して否定されたわけだが、これは何を目的とした運動なのか。食糧資源の多角化がわが国にとって急務だからなのか。コンビニが時間切れになって廃棄する弁当を主とした食糧を考えるととてもこれは説得力がない。ではいったい何か。なんでも反対されたら引っ込める、あるいは断念すると云うことが面子を潰すことになるからなのか。歴史的に鯨を食糧としてだけでなく最大限に利用してきたわが国の文化を絶やすまいとするためなのか。私には未だにこの理由が理解できないでいる。
 文化を絶やすまいとするあまり鯨をとり続け、鯨が絶滅した時(あんまりその危険性があるのかないのかも知らないが)には当然その文化は絶滅する。ただ、鯨は頭の良い動物なんだという愛護派の理論は私も受け入れられない。だって、これでは頭の良いものは絶やしてはまずいが悪いものはどうなっても良いという優生保護思想に繋がるもの。こういうことを云うと確実にたかが食い物に優生保護だなんだとごちゃごちゃ言うなという反論が出る。この辺が分かれ目だと思っている。はっきり言っておこう。優生保護思想はすべての元凶となり得る。
 種の保全を考えながら捕鯨を行いうるのであればそれで良いのではないのかということになるが、ひょっとしてわが国が主張することがその信頼感を勝ち得ていない、ということではないのだろうか。彼らがいっていることには一理あるが、いっている当の本人があの国だからなぁと云う感覚を持たれていると云うことではないか。つまり国際的に信じてもらっていないと云うことか。
 捕鯨産業、食糧産業にとっては商業捕鯨が復活すると大きく利益を得ることができる可能性があるということか。今稼働していない捕鯨船が何隻も遊んでいて困っているとはとても思えないし・・・。主張を反対されることは国家を否定されたことには繋がるわけではありません・・なんていう?