ほぼ足りてまだ欲 その先

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鯨肉

 いつもこんなシー・シェパード関連の事件が起きると必ず問題になるんだけれど、日本の食文化だから鯨を食べてきた文化を尊重しろという主張が必ず起きる。ずっと食べてきたんだから食べて当たり前か、ということになるとこれはどうなんだろうかという疑問がいつも湧く。
 私が覚えている鯨肉というのはもちろん小学校の頃の給食で供された鯨の竜田揚げだった。当時、日本の食料事情はまだまだ何でもかんでも入手できる状況ではなかったけれど、鯨は安価でいわゆる「肉」という種類の中では一番身近だったんじゃないだろうか。しかし、その後牛肉、豚肉が充分安価に供給されるようになって私の目の前から姿を消した。次にお目にかかったのは学生の頃。鯨のベーコンが呑み屋で安く供されるつまみであった。本当は豚のベーコンが食べたいけれど、それよりは安くてそれに近いつまみだった。
1990年頃、渋谷の鯨やで「懐かしい」と云いながら食べたのが最後の鯨肉だった。
 鯨が知能が高い動物だから殺すな、といういい方をするのは間違っていると思うし、それは動物を殺して良いもの、殺してはまずいものという選別をするということでこれもヘンだ。
 調査捕鯨がこれだけ長い期間にわたって続けられているのだけれど、その調査研究結果はどの様にまとめられているのだろうか。鯨の実態を調査するのであれば、これは本来的には一国のクローズな調査研究ではなくて、各国の研究者が参加した上で、オープンな調査研究として進められるべきではないのだろうか。日本の調査捕鯨を一方的に攻撃(正に攻撃だ)するのもおかしいけれど、クローズにし続けるのもおかしいと思う。
 ちなみに私はもう鯨を食べたいとは思わない。こんなことをいうとどうせ歳を取って肉なんて喰わないんだろうと云われそうだけれど、たまには食べるよ、旨いすき焼き。



 追記:100108:
 しかし、いくら考えても、自分から日本の船にぶつかって行くほどの攻撃的な反対運動を展開するシー・シェパードがなんで臭い匂いのするようなものを投げ込むとか、周りを抗議としてまとわりつくなんてつまらない抗議運動を金をかけて繰り返すのだろうか。本当に攻撃的に抗議をするというのであれば、本格的な武器を使用すれば良いんじゃないのか。
 なんだか「革命」を叫んでゲバ棒を振り回す程度であった40年前のあの活動とどこか似たような状況を呈しているような気がする。これが日本の「調査」という偽看板を掲げた操業と五十歩百歩だという状況に物事を見せている。
 とするとこの抗議活動の本当の意味はなんだろう。日本は悪い奴だという印象を全世界に知らしめるということなのだとしたらその発信基地が日本を第一の貿易相手国としてここ何年も取引をしてきた豪州であるということの不思議さを感じないわけにはいかない。しかも、中国の国際的台頭と軌を一にしているという印象がどうしても拭えないのが不思議だ。


 追記:100108 その2:毎日新聞2010年1月8日によると、「アディ・ギル(AG)号の漂流物から、ボウガン用の矢を回収した」のだそうだ。これはちょっと危ないものがある。