昨日、ラジオを聞いていたら横浜の市歌が流れた。子どもの頃、この歌はなぜかしらないがずいぶんたくさん唄ったものらしく、今でもそらんじることができるという恐ろしい状況である。作詞:森林太郎。
横浜市歌
森 林太郎(鴎外)作詞
南 能衛(作曲)
わが日の本は島国よ(わがひのもとはしまぐによ)
朝日かがよう海に(あさひかがよううみに)
連りそばだつ島々なれば(つらなりそばだつしまじまなれば)
あらゆる国より舟こそ通え(あらゆるくによりふねこそかよえ)されば港の数多かれど(さればみなとのかずおおかれど)
この横浜にまさるあらめや(このよこはまにまさるあらめや)
むかし思えば とま屋の煙(むかしおもえばとまやのけむり)
ちらりほらりと立てりしところ(ちらりほらりとたてりしところ)今はもも舟もも千舟(いまはももふねももちふね)
泊るところぞ見よや(とまるところぞみよや)
果なく栄えて行くらんみ代を(はてなくさかえてゆくらんみよを)
飾る宝も入りくる港(かざるたからもいりくるみなと)
http://www.city.yokohama.jp/ne/info/symbol/song.html
文字で見たのはこれが50年振りのことなのかもしれない。なぜって、そらんじることができてもなんのことやら、さっぱり分からなかったのである。今、ようやく分かったのである。「かよえ」と命令調でいっているのはずいぶんえらそうだなぁと思ったり。「この横浜にまさるあらめや」などといっていたものだから、本当に心の底から横浜に優る港はないし、東京なんかよりなんぼかかっこよい、と信じる少年だった。明治42年 開港50周年を記念してつくられたのだそうだ。
そういわれてみるとやはり小学生の頃、開港100周年記念として♪ひゃくねぇ〜ん、ひゃぁくねぇ〜ん、ひらいてひゃくねぇ〜ん、みなとぉ〜、よこはまぁ〜、あさぁがくるぅ〜♪という歌を歌った記憶がある。「関東銀嶺会」という兵庫県立生野高校関東同窓会のサイトによれば、今井広史さんという方が作詞。この方がこの高校の校歌の作詞も担当しているんだそうだ。
その開港百年式典が挙行されたというのが「あの」1958年、昭和33年である。うん、符合する。東京タワーの工事中、私は清水市三保というところにいて見ていないと書いた。この百年の歌も、その年留守になっていた実家に引っ越してきて暮らしてくれていた従兄弟から教えてもらった記憶である。5月10日に横浜平和球場で式典が行われたそうである。式典に続いて横浜出身の10人の歌手による歌謡大会が開かれた。「美空ひばり、渡辺はま子、草笛光子など」と書いてある。(横浜市のサイトから)
こんなことを想い出した。両親が死んで、もう私と横浜のつながりも疎遠になるばかりだろう。