今はフリーのアナウンサーですが、元はといえばNHKのアナウンサーです。今では民放のラジオにもしばしば登場しますが、テレビではあんまりお目にかからないような気がします。
昨夜から今朝にかけてのラジオ深夜便を担当していたようです。午前3時すぎにトイレに起きたときにラジオをつけたら「〔にっぽんの歌こころの歌〕思い出の流行歌"横浜"のうたアラカルト」の枠で最初にかかったのが森林太郎(森鴎外)作詞、南能衛作曲の「横浜市歌」だったのです。「わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に」で始まる唄で、石澤典夫が「昭和20年代生まれの横浜の人はほとんど今でもソラで唄えるほど学校で唄いましたねぇ」というのですよ。もちろん私もそうですが、彼も横浜生まれだというわけです。「私の小学校は高台にありました」というのですが、一体どこですかねぇ。中学は杉田の浜中のようですから、その近辺でしょうね。
次の曲は「ブルーライト横浜」でしたが、できれば「開港百年の唄」でもかけて貰いたかったですね。