ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

風呂をたてる

窓のないキャビン

 つれあいが肩の関節を痛めて以降、風呂をたてるのは私の仕事になった。それまで使っていた風呂の洗剤は泡がすぐに消えて、排水が短時間に済むのだけれど、匂いがついていて、これが私にとっては気持ちが悪くてイヤだったので、こういう当番になって以降、匂いのつかない風呂洗剤を探した。多分ここにはあるだろうと、ネットで探したら、確かに無印良品にあった。しかし、泡消えはそんなに早くない。しかし、瞬時になって消えなくても大して困らない。

 私が生まれた家には当時にしては珍しく、内風呂があった。木の四角い浴槽だったことは覚えているが、どうやって風呂をたてていたのかは全く覚えていない。自分でたてた記憶がないからだろう。当時スンでいたオヤジの会社の社宅の中で、内風呂があったのは珍しかっただろう。他の社宅の人たちはどうしていたのかというと、真ん中にある広場の片隅に、小型の共同浴場があった。交代で風呂を沸かしていたが、夕方頃に当番の人が風呂を沸かすのを見ていた記憶がある。多分幼い子どもだったから手伝うところまでは行かない。
 5歳頃になって引っ越した新築の家にはタイル張りの風呂があった。ガスでお湯を沸かすのだけれど、そのバーナーに点火するのが怖かった。マッチを擦ってガスのレバーを開けてつけるのだけれど、上手く行かないと、ぶわっ!といって暴発する。怖かったなぁ。しかも、湧くのをチェックしなくてはならなくて、うっかり忘れようものなら、風呂はたぎってしまう!四角くて深かったこの浴槽は真夏になると水風呂にして涼んだ。外から帰ってきて汗びっしょりの身体をドボンと漬けると気持ちよかった。
 つれあいの実家の風呂は、小さな小判型の風呂桶だった。上がり湯が別に小さく分けたところに溜まっていて、手桶でこれをかぶって出た。
 今の風呂は勝手に仕上がってくれてまるで苦労がない。唯一の苦労が風呂掃除だ。楽な時代である。

 豪州で暮らしていた家にはバスタブがついていた。他に二箇所シャワーがあった。しかし、問題はボイラーだった。その容量が200リッターしかないから、バスタブにお湯を落とすと、シャワーは水になる。つまり、ほとんどの人はシャワーを浴びるだけだ。だから、自分で家を建てようとする日本人は必ず深いバスタブにして大きなボイラーをつける。だから日本人が建てた家を借りれば、完璧だ。

 こんなに日常的に風呂に浸かるのは、多分日本人しかいないんじゃないだろうか。クルーズ・シップでも新しい大きな、それこそ3000人以上の客を乗せるような船のバスルームは余程高い部屋でない限り、シャワーしかついていない。日本人はそこで躊躇する。