ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

「ステージ#101」

 1970年代の前半のNHKの番組にこんな名前の若者向けがあった。多分私の年代はほとんどの人が知っている。ナベプロがやっていたスクールメイツをもっと洗練させた同年代の男女が唄い踊る(踊るといってもリズムに合わせて決められた様に身体を動かす、とでもいうべきか)という番組だった。
 今でも同じ世代だったら多分すぐに唄えるという曲は中村八大作曲、かぜ耕士作詞の「涙をこえて」だろう。しかし、今この歌詞を見るととてもシンプルだ。なんたって盛り上がるのはサビのところで、「涙をこえてゆこう 失くした過去に泣くよりは、 涙をこえてゆこう 輝くあした 見つめて」と唄うと感極まるという唄だった。悪いけれど、今の若者がこの歌詞で感極まるとは思えないものなぁ。「なにいってんだよ!そんなんで乗り越えられるくらいだったら世話いらねぇんだよ!」といわれそうだ。当時でも、この辺は何となくNHKっぽいというか、文部省唱歌のポップス版というか、そんな匂いがぷんぷんしていた。それでも当時は「(建前として)若者はこうしたものだっ!」「この気持ちになれば、かつてのピュアだった少年期からやり直すことができそうだ」という気分になることができていたんじゃないかと思う。でも、今だとそんなことすら許さないくらいのがっちんがっちんの現実が目の前に突きつけられてしまうんじゃないのか。
 当時は学歴で大いに収入にはっきりした限界が明示されてしまっていた様な気がする。今はどんなパターンもあり得る代わりに、一度落ち込んだらなかなかはい上がれない様な気がする。人を巧い具合に欺しておいてそれを踏み台にして儲ける奴と儲けられちゃう奴に別れてしまっている様な気がする。こんな歌唄ったって、全然希望が感じられない。「そうだ!もう一丁頑張ってみようかっ!」という気分になれない。「輝く明日」ってなんだよ、てなもんだ。
 ところがあの当時はなにしろ高度経済成長末期だったから社会に出ればどうにか稼ぐことができた。だから置かれた環境によってその限界点が隠されていたんだけれど、「輝く明日」という幻想を抱くことができていたのではなかったか。この番組が民放の番組でスポンサーが経団連だったら大笑いだけれど、NHKだったんだから考えようによっては自民党政権確立構想番組だった、なんていってしまったら笑われるだろうか。
 この番組から出てきたタレントは結構あちこちにいる。グッチ裕三の従兄弟だということで想い出された田中星児もそうだし、太田裕美もそうだ。永六輔の周りにいるタレントでもある小林啓子もそうだ。そうした全国的に知られているタレントばかりではなくて、当時のメンバーの多くが今でも歌にからんでいて、さまざまなところで「え!101だったの?」という人に出会う。十数年前に死んでしまった私の幼なじみが連れて行ってくれた六本木芋あらい坂にあったスナックを経営していた石岡ひろしもその一人だった。今では全く面識もないし、ウェブ上で検索して確認する程度だけれど数回その死んだ友人と出かけて唄いまくった記憶がある。確か彼の「J」という唄のドーナツ盤を店で買った記憶があるからどこかを捜すと出てくるかも知れない。今でもあの唄はそらんじられるなぁ。
 それでもYouTubeで彼らの昔の、そして復活の動画を見ているとなんともはや・・涙・・なんであるなぁ。