ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

奇妙奇天烈新宿寄席

 矢崎泰久プロデュース、永六輔・外山恵理司会 於:新宿・紀伊國屋ホール 開場17時半、開演18時。
 とはいえ、多分永さんのことだから開演前から何らかの語りが始まるはず。17時半には入っておくべき。2時間前に家を出て床屋へ行く。床屋といったってもう2-3年はQBと看板の出ている千円で刈ってくれると云うところ。先客が終わるのを待ったけれど、それでも16時15分くらいには終わって綺麗さっぱり6mmのバリカンで刈ってもらった。QBの方が「あ、こっちの方が良いですよぉ」とお世辞をいってくれる。嬉しいものだね。
 JRで新宿へ出る。三越の地下ででもパンを買っていこうと地下に入る。スープ・ストックだとか、小じゃれたカレー屋さんとかあるが、どうもこんな雰囲気の店に入ったんじゃ沽券に関わるというか、私のキャラクターに合わないというか、ま、実際の話はどうでも良いんだけれど、パンを持って紀伊国屋へ向かう。
 一階から入ったら良かったのかも知れないけれど、地下から入ったものだから、ものの見事にあそこに連なる食べ物や、有り体に言えば「モンスナック」のカレーの匂いにやられてしまったのだ。思わず入り、ドライカレーを注文。800円である。安くはないが、サラダとコンソメスープが付く。後で話を聞いたら佐高信氏も今日ここで食べたのだそうだ。彼によれば、これまた今日の出演者である加藤武氏の色紙(モンスナックの壁には何枚もこうした色紙がある)が貼ってあって、そこには「ライスカレーか、カレーライスか。どちらでも良い。どちらでも良いがうまい。」と書いてあるそうである。うまかった。
 4階に上がるとちょうど扉が開いたくらいらしく、当日券の列ができていた。矢崎さんが私の前を歩いておられた私より年上の女性にご挨拶をされた。伊奈かっぺいさんのCD三種、クルセダースのCDも三種。かっぺいさんの本が数冊。きたやま先生の本が数冊。他にも矢崎さんの本。永さんの本。奥でなにやら背の高い女性がサインをしている。聞くと、この人が太田スセリさんだという。いわゆるシングルCDを500円で売っていてサインしてくれるというので、お願いした。「ストーカーと呼ばないで」である。ブログも書いているそうである。
 トイレから帰ってくると、案の定、永さんと矢崎さん、そして言問団子のお嬢ちゃん外山アナウンサーがすでに話し始めている。「まだ始まっていませんよ」と客席に話しかけながら。

  • 江戸家 まねき猫:枕草子を取り上げて、これを一説ずつ読み上げながら、そこに出てきそうな動物の物まねをご披露する。目や口の雰囲気、そしてきちんと創り上げた話の流れ、なんてところが猫八さんにそっくり。女性の動物物まねはご自分が言われるように他にはいないわけだけれど、こうしたやり方があるとはねぇ・・・。

  • 佐高信:どんな話をするのかと思っていたら、ぎんぎんと佐高節でこれはこれは痛快であった。客席に向かって、あなた方にも責任はあるというし。佐高は大学で小泉と同級生だという。飯島勲をしっかりと批判するマスコミが何故ないのか。そもそも北朝鮮から貰った松茸を分けた中にマスコミもいた。二度目の訪朝の時にNTVが25万トンの食糧支援の事実を抜いた。すると飯島はNTVを連れて行かないといった。とんでもない話だけれども、その時に何故他のマスコミは「じゃ、俺たちもいかない」と書き立てなかったのか。仰るとおりで今のマスコミは本当にマスコミとしての仕事をきちんとすることができない。週刊金曜日主筆の仰るとおりである。週刊金曜日主筆は「松茸喰っても良い、喰っても書け!」とアジる。上品ぶっていると狙われる。善男善女なんていわれて騙されてちゃダメだよ。やっぱり、週刊金曜日を定期購読するとしよう。

  • 加藤武:な、なんと白装束で現れる。あたかも「由良の助はまだか!?」と尋ねる内匠頭の如しである。なんと吉川英治作・宮本武蔵三十三間堂の場面の朗読である。あの人は確かフランキー堺小沢昭一なんてところと同年代のはずだけれども、いやぁ〜出ますね、大きな声が!?あたかも雪降る中での吉岡との決闘を目の当たりにしているようでありました。その朗読以外のことは全く語らず笑わず、読み切りで終わりであった。つまり楽屋は一切見せないのである。お見事。

  • 伊奈かっぺい:うって変わって軽妙に立て続けに、いつまでもエネルギー変わらぬシャベクリである。今でも局の職員だというのである。職員辞めると休むところがなくなるからね、なんていいながら。本名・佐藤 元伸(さとう もとのぶ)だそうである(ウィキペディア)。多分同年齢。矢崎さんが書いたというホワイトボード一杯の憲法九条を津軽弁で読む。すごい。すると今度は沖縄ドラマ「ちゅらさん」で沖縄料理店の旦那の役をやっていた役者(名前を知らない)が出てきて、こっちはこっちで沖縄弁訳の憲法九条を読む。憲法の漢字そのものを読むと、きっちりと軍隊持っちゃやらねぇし、戦争なんて絶対やらねぇ、と書いてあるのは明らかだと。しかし、どうも津軽弁や、沖縄弁で聴くと、まぁ、微妙なところはどうでも良いじゃないか、と聞こえちゃうねぇと。久しぶりに見たけれど、あの眼鏡、わざわざ昔の眼鏡のままにしているのだろうか。なんだか大久保彦左衛門に見えつつあるぞ。

  • 小円歌:声だけは何度も聞いたことがあるのだけれど、あぁ、この人だったのかぁと思う。なにしろ円歌の弟子の女性なんだからその組み合わせの意外さに良く26年も持ったもんだと感心したりなんかする。三味線漫談というのだそうだが、玉川スミとこの小円歌しかいないんだという。それにしても噺家になりたくて円歌の門を叩いたんだろうから、そこから三味線を習い、歌も習ったというわけだ。それでも26年続けば本物だろうなぁ。久しぶりの雰囲気。最後にかっぽれを踊ってみせる。

  • きたやまおさむ:いわずと知れた元フォーククルセダースの一員。京都大学医学部を卒業し、精神科医として現在は九州大学で教鞭をふるう。いかにも精神科医の教授のレクチャーらしく、iBookかPBの12"を持ってきて、スクリーンにパワーポイントを映し出す。そのテーマは「劇場型社会を生きる その精神分析」と書いてある。人間は二重構造を持っている。だからその差の葛藤を抑圧して生きる。それを解決したものが健康なのだ。ということを伝えようとするが、本人が「あ、でもここに来ている人たちってのは二重構造なんてものを持っちゃいないんだよな。だから、こんな時にこんなところに来てわははと笑っていられるわけで、君らは違うけれど、普通の人はこうなんだよ!分かる?」という度に会場はどっ、どっと沸く!受け続けるばかりである。この状況を袖にいた斉藤晴彦が「凄い!この場にいられるという幸せを感じる」といったそうである。きたやまは続ける。ところが日本人は表と裏を使い分けることができるのだと。つまりある種の二重人格なんだと。だから、日本人以外から見ると日本人は信用がならないと。裏がどこにもあった。新宿の町だって裏があった。裏のはけ口があった。井戸端会議というのはその典型だった。そうした裏があるから、二重人格でも裏を公的には見せずに来られた。しかし、それもなくなってしまった。そして小泉劇場には、その「裏」がない。裏を隠すところがなくなったから、突然人が変わる、ということが起きる。秘すれば花、粋、なんという言葉がなくなった。どんなに辛くても顔で笑って心で泣いてきた。

  • 斉藤晴彦黒テントは来月神楽坂岩戸町7で公演だという。かつて聴いたことのある「トルコ行進曲」と種まきを唄った「フィガロの結婚序曲」を、あの思いっきりの早口で思いっきり歌い上げる。これは外国人の人には笑えないだろうなぁ、あまりにも早口で。米国のテレビのスタンダップ・コメディーを外国人である私が笑えないように。

  • 最後に入歯亭お二人のお話。永さんが足の小指を折った時の話を矢崎さんが聞く。矢「永さんは後から後から話を作るからなぁ」という。永さん曰く「加藤武さんが、今はその噺は聞かない。後一ヶ月経つときっと面白い話になっているから、その時に聴く」といったそうである。

 実は矢崎氏(1月)、永氏(4月)、千代田の人(12月)で三人とも同じ歳の生まれだそうだ。
さて、明日の夜はどんなことになるのだろうか。
 帰りに紀伊国屋の2階の雑誌売り場で下記入手。週刊金曜日 587、atクォータリー2号、季刊前夜6号、Mac Fan 274号