さっき山積みになっている書籍の山のひとつが眼に入って、一番上にある分厚い集英社新書の「沖縄スパイ戦史」を手に取ったらその下から「この日、集合。」というこれはまた薄っぺらい冊子が出てきた。
表紙は明らかに和田誠の絵で、週刊金曜日刊、2006年5月3日の憲法記念日に新宿の紀伊國屋ホールで開かれた集まりで小沢詔一、永六輔、井上ひさしが語ったことを起こしたものだ。帯に「何も言えなくなる前に、言っておきたいことがある。」としてあるが、三人が三人共にもういない。絵を描いた和田誠ももういない。でも、こうして文字にしてあると、いつまでも、つまり、「何も言えなくなって」もこうして言い続けることができる、っちゅうわけだ。
井上ひさしは東京裁判三部作にも触れているが、東京裁判の意味をちゃんと指摘していて、あぁ、この視点を良く忘れるんだよなぁと思い起こしてくれる。
それはサンフランシスコの講和条約に「東京裁判を受け入れる」としてあるわけです。ポツダム宣言には「戦争犯罪人は裁く」としてあって、それを受け入れた。日本人が裁けば良かったのに、戦勝国によって裁かれた。でも、それを受け入れるというのが講和条約の条件だった。この時講和条約に加わっていなかった中国も韓国も事後ながらそれで国交を回復した。だから、東京裁判は勝者による敗者の裁きだから、あんなの認めないと言っちゃうと、こりゃ大変なことになっちゃう。今の習近平と、あの時の周恩来とはこんなに違うから知らないとは言えないんだよね。だから、あの裁判で裁かれた人を崇めちゃうんじゃ、根本否定になっちゃうってんだね。
ところで、終戦当時、疎開していた平成天皇、ま、今の上皇さんだよね、を拉致して、降参する昭和天皇を無視して、抵抗しようとする勢力があると言われていたんだって。だから、上皇さんと一緒に学習院の生徒が疎開していたわけだけれど、その中の子を身代わりにするんだとしていたって話は面白いね。
それで、前にも書いたことがあるんだけれど、井上ひさしの東京裁判三部作って、なんだっけ?という話だね。
- 作者:ひさし, 井上
- 発売日: 2010/12/01
- メディア: 単行本
つうわけで区立図書館から借りだしてきた。ほとんど読まれた形跡がないんだよな。