箱根の町並みをテレビで見ていると変わらないのは道路だけのように見える。一時期はあたかもわが庭の如くに見ていた時期もあったのだが、息子に聴くと彼は物心ついて以降、箱根に行った記憶がないという。5歳の時に祖父母とともにいっているはずだが、覚えていないらしい。
そぼ降る雨の中、開け放った縁側の先に拡がる緑の庭と、その向こうに霧にまとわりつかれて見える山が私の箱根の景色の原体験かも知れない。木の湯船に白い湯がとても珍しかった。ひょっとすると私は子どもにそうした記憶に残る体験を与えていないかも知れない。こうしたことはどうしたら分かるのだろうか。