ほぼ足りてまだ欲 その先

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NNNドキュメント’06

「裁きの重み名張毒ブドウ酒事件の半世紀」制作 中京テレビ放送

1961年三重県名張市葛尾の村落。寄り合いで出されたぶどう酒が女性5人の命を奪った。妻と愛人を亡くした奥西勝が「三角関係の清算目的」として逮捕された。一審無罪、二審死刑。

 奥西勝はすでに80歳。一審では自白、証拠共に断罪に至らずとして無罪判決。二審ではそれが覆って死刑。たった十数戸の村の公民館で出された葡萄酒に農薬が混入され、それを口にした女性のうち5人が死亡、12人が重軽傷。ぶどう酒の購入、運搬に関与したとして三人の村人が重要参考人として呼ばれ、その中の一人、奥西勝が犠牲者の中に妻と愛人がいたことから、三角関係の清算を図ったとして逮捕。そして奥西勝の自白により、混入された農薬は日本化学製の「ニッカリンT」であることが判明。しかし、その農薬の瓶は捨てたとされる川から見つからず、凶器とされる物的証拠が見つからない。農薬混入するために一升瓶の葡萄酒を歯でこじ開けたとされる。
 確定した死刑判決を覆し、再審を開始する決定に持ち込むためにはそれにたるだけの新たな証拠の提出が必要である。弁護団が捜したのは、「ニッカリンT」の現物。もう一度分析して現場に残っていた葡萄酒の当時の分析結果と比較したい。そこで弁護団のひとりがネット上の掲示板に捜している旨書き込み、廃農薬を各地のJAが回収していることを知り、ついに捜し出す。その分析の結果、奥西勝が自供したとされる「ニッカリンT」と混入されていた農薬とは一致しないことが判明。葡萄酒の瓶の口金のあととされる証拠が実験と異なる。2005年4月5日名古屋高裁は再審開始を決定。しかし、4月8日には名古屋高検が異議を申し立てている。この事件については江川 紹子が「名張毒ブドウ酒殺人事件六人目の犠牲者」(新風舎2005.07)という本を書いている。
 番組では1955年の松山事件で4人を殺したとして逮捕され、死刑判決を受け、1960年最高裁の上告審判決が上告棄却されて死刑が確定、第2次再審請求の結果1984年7月11日に無罪判決を得て釈放された斉藤幸夫さんへのインタビューも含む。斉藤さんは逮捕されてから29年後に53歳で釈放。凶器は三種類とする検視報告がありながら検察はこれを斉藤さんが自白したとする凶器一種類として証拠提出をしていたようであり、被害者の血痕が付着していたとされる自宅の蒲団称呼がねつ造であった。彼はその後職業を転々とするも晩年は年金もままならず(収監中に年金保険料を誰が払えるのだろうか)月に6万2千円の生活ほどを得て、ただひとり孤独の中に暮らし本年7月、75歳でその孤独な人生を閉じたことを伝える。
 三重県奈良県の県境に位置する葛尾の集落では奥西が無罪となった時に、大きな問題を抱えることになる。それでは真犯人は誰か、という話になるからである。番組では大胆にも現在集落に暮らす数人の老人が顔を出し「本人をここに連れてきたらいい、必ず申し訳ない、私がやりましたというに決まっている」というコメントまで引き出してしまっている。
 もし、これが冤罪だということになると警察の、あるいは検察の責任はとてつもなく大きなものがある。毒入り葡萄酒でなくなった人たち、5人だけでなく、関係する全ての人びとのこれまでの人生を取り返すことはもう一切あり得ないからである。このドキュメントを見ていて、子どもの頃父親に連れられていって見た「真昼の暗黒」という八海事件を描いた映画を想い出した。
 この事件とは直接関係はないがこちらのサイトによると「検察庁の資料によると、1949年(昭和24年)から1955年(昭和30年)にかけて起訴後に真犯人が現れた事件は46件もあった」とのことである。