ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

派遣会社の論理

 「ホワイトカラー・エクゼンプション」という言葉をマスコミが報じるのを見たときに、最初に思い浮かんだのは、1980年代の自分がかつて勤務していたメーカーでの議論のことだった。当時人事評価システムを根本的に見直そうと言う動きが人事労務系の中で持ち上がっていたらしい。この企業はとにかく人事労務系が概ね経営権を牛耳ってきていた。というのは本流が装置産業部門だったので、最も問題になるのは人件費の安定的、且つ根本的削減だからである。当時、明治年間の創業、アジア太平洋戦争後の復活を第一、第二の創業と認識して、いまや第三の創業だといい、どんな改革も名目が立つ、と様々な制度を取り入れを図ろうとした。そんな時にリクルート社が吹き込んだ手法を取り入れ、部下が自分の上司の評価をする、あるいは他部の上司の評価をするという手法をどんと取り入れた。するとそれまで典型的な終身雇用システムにいた社員たちはあっけにとられてしまい、ここぞとばかりにぼこぼこに書き込んでしまった。私が所属していたのはたった半年前に構築された新たな部だったから、とんでもなく忌憚のない意見が続出したようで、研修から帰ってきたその部長はすっかり困惑した様子だった。土壌のないところにシステムだけを取り入れてすっかりすさんだ雰囲気になってしまい、この方式は2年と持たずに取りやめとなった。
 この頃、やっぱり「成果主義」が議論された。営業に連なっているメンバーは色めき立つ。彼らの場合はすぐにハッキリと結果は出るわけだ。顕著な結果を出せば期末に特別ボーナスが出るというのだ。では総務系の仕事をしている人間はどうしようとするか。極力予算に対する支出を抑え、そこで成果をヴィジブルにしようとする。すると余裕のある仕事というのは全く許されなくなり、フィールドを升目に区切って隅からきちんきちんと埋めていくような仕事をするしか方策がない。
 一番困ったのは研究職集団の成果の評価だ。今研究しているものが基礎的な解明研究なんかだったら一体全体誰がいつそれを評価できるというのか、あるいは何人もが分担して研究開発を進めるというのであれば誰のどの部分が一番重要で成果として意味があるのかという判定をどうするのかという問題が持ち上がる。なかなか成果は出ないものの、もしこれが本当に陽の目を見たらとてつもないことが起きるはずだ、というような研究をしている人はいつになったら評価される時が来るのか、果たしてそんな時が来るのか、という不安に陥れられてしまう。こんな状態では落ち着いた研究が出来ないと基礎研究分野の若手の何人かはより余裕のある研究機関に移って行ってしまった。
 こんな話の真っ最中にまさにあの「ホワイトカラー・エクゼンプション」と同じようなシステムが語られていたことを思い出すのだけれど、今話されているように一定の年収額でホワイトカラー(いつからこの言葉は復活したのだろうか。かつてこの言葉は差別を呼ぶとして使われなくなっていたという記憶だ)をばさっと切り分ける発想ではなかった。こうした地道な作業と、クリエイティブな発想を必要とする職種については労働時間の規定からフリーにして、作品、成果、企画が作りやすい状況を作るという発想だった。つまり、8時間かけたからその分だけのプロセスが必ずしも進むとは限らないという仕事に携わっている労働者にそれを気にせずにやってくれという方向性だった。今度の「ホワイトカラー・エクゼンプション」もほぼこれと同じなんだったら、そういう説明があるはずだけれども、奥谷禮子という人材派遣会社の経営者があちこちでいっていることを聞いているととてもそんなことではない。

奥谷禮子(おくたに れいこ、本名米澤禮子、1950年4月3日 -)(出典:Wikipedia等)

奥谷というのが新姓で米澤が旧姓なのかと思ったらそうではなくて、前夫(故人)の苗字が奥谷で、現在の夫の苗字が米澤だということのようである。
株式会社ザ・アール代表取締役社長:兵庫県生まれ。甲南大学法学部卒業後、日本航空(株)に入社。国際線のスチュワーデスとして3年、その後同社VIPルームにて勤務する。1982年3月、職場の同僚女性と(株)ザ・アールを設立
1986年1月、社団法人経済同友会初の女性会員の一人となる。
驚くほど多くの社外役員、あるいは政府機構の委員等を兼職。日本郵政株式会社の元大阪商船三井船舶の生田、オリックスの宮内、楽天の三木谷等とは神戸人脈繋がりといわれているらしい。村上ファンド人脈とも繋がり、日本アムウェイの諮問委員としても名前を連ねる。
公的機関の委員だけでも、ウィッキペディアによるとこれだけある。

 現政権からは信頼が厚い、と考えて良いだろう。

発言

 一番問題になっているのは厚労省労働政策審議会労働条件分科会での発言が大きい。2006年10月24日の第66回労働条件分科会で、日本労働組合総連合会総合労働局長の長谷川裕子に「すべて日本の企業が、委員のような会社だったら、本当にみんな幸せだと思います。そういう会社だけではないのです」といわせている。
 ちょっと遡ってみると2003年5月14日の衆議院厚生労働委員会民主党城島正光議員が「総合規制改革会議のメンバーに人材派遣業界から二人もダブって選ばれているのはなぜか」と質問している。当時の坂口厚労大臣は「厚労省が選出したんじゃないから知らない」といい、それまでの経済的規制改革から社会的規制改革の部分に入っていこうとしているからじゃないのかと推測して答弁した。城島が何を懐に抱えているのかその時点ではハッキリしなかったのだが、「メンバー個人を否定しているわけではない」としながら当時の石原伸晃大臣が「格式の高い」といったこの会議にメンバーを選択するのには政府の見解があって、期待するところがあるのだから公平中立であるべきだといっている。昨今の安倍の委員会、会議について論議されることと全く同じだ。ここで城島はそのふたりのうちのひとり、ザ・アールという会社の大株主は誰かと質問している。政府参考人が「西武ではなかったか」と自信なさそうにこたえる。城島は事前通告してあった質問だというが、政府参考人は何と「ホームページ等で調べたけれどわからなかった」とこたえる。これには呆れてしまう。お粗末。
しょうがないとばかりに城島が「本人が最大株主だけれども二番目はオリックスで一万株を持っていて、このザ・アールという会社の主要取引先がリクルートである」ことをあかす。オリックスの宮内氏がこの改革会議の議長で主要取引先企業たるリクルート社の社長もこの会議のメンバーという関係にあるということだ。しかもこのザ・アールの社長は(労働政策を策定する厚労省の)労働条件分科会のメンバーでもあるのは如何なものかといって、大臣の見解を求める。坂口大臣は「言いようがないですけれども、ここでお決めになったこと、我々が考えておりますことと相反するものもたくさん率直に言ってございます。かなり衝突をいたしておりますけれども、守るべきところは守っていきたい、そういうふうに思っておる次第であります」と“らしい”答弁である。城島は「業界利益につながっていくというのは明らか」と追求する。客観的に見てもあまりにも脇の甘すぎるメンバー選定であるという印象はぬぐえないし、こんな乱暴なやり方のお粗末さ加減には世の中を睥睨している傲慢さが見える。
城島の質問はここから先は派遣雇用というものが前回の改正の時には臨時措置としての雇用形態という説明で押しきってきたにも拘わらず今回は常態雇用への橋渡し期間を大幅に伸ばし、派遣雇用の常態化を図ろうとしているわけで許すわけにはいかないんだという意見を展開した。

抗議

 元週刊現代編集長でフライデー創刊者であった伊藤寿男が創刊した月刊テーミスの2006年5月号に記載されている記事を見ると、この時城島が指摘した派遣業界からの委員は奥谷禮子ザ・アール(気持ち悪くて仕方がないのだけれど、こんな場合本当は定冠詞を“ザ”と発音しないだろう?)社長と河野栄子リクルート社長の二人だと知れる。ところが、奥谷禮子はこの厚労委員会での質疑のあと城島議員を議員会館に訪ね、名誉毀損で抗議し謝罪を求めると通告したというのである。それだけに留まらず「当時の中山成彬厚生労働委員長宛に弁護士名で内容証明郵便を送付。城島氏の不適切な発言部分を速記録から削除し、削除できなければ訂正などの措置を講じるよう要求」し、処分せよと要求したというのである。挙げ句の果てにザ・アールの第二位株主で規制改革会議議長の宮内善彦オリックス会長が城島に抗議文を送りつけただけでなく、民主党菅直人代表(当時)にも抗議文を送り「規制改革に反対する具体的且つ合理的な理由を挙げよ」と要求していたのだという。正式に政府の見解を城島が文書で求めるとその回答は総理名で政府は関知しないという返事であったと書いてある。この城島の議事録に於ける質疑のどこの部分が名誉毀損に該当するのかという点はその時の奥谷禮子の主張を聞いてみないとわからないが、私にはごり押しとしか思えない。オリックス自身も「オリックス人材株式会社」という人材派遣業を2002年に立ち上げていることを考えると規制改革会議には派遣業に直接関係しているメンバーが三名になるわけで城島の指摘は正しい。月刊テーミスの該当号はこの後奥谷禮子ザ・アールの神戸繋がり、日本郵政公社との取引等について解説している。

週刊東洋経済のインタビュー

 奥谷禮子の発言が際だってきたのは労働条件分科会の発言が報じられてからだろうか。私は少なくとも東洋経済新報2007年1月13日号に掲載された奥谷の発言まではどんなことをいっている人なのか、あまり興味がなかった。私は先日改めてこの記事を図書館で借り出して読み直した。彼女の発言を要約することで真意が変わるといけないからこの際アップしておく。

<なんでも“お上頼り”が間違い 過労死は自己管理の問題です>
「若い人の中には、もっと働きたくてウズウズしている人たちがいる。結果を出して評価を得たいから、どんどん仕事するわけですよ。ところが現法制化では上司が「早く帰りなさい」と。本来そこは代休などの制度を確保した上で、個人の裁量に任せるべき。働きたい人間が働くのを阻むのはマイナスですよ。
仕事がおもしろい、もっと能力を高めたいと思っているときに、人の能力は伸びます。自分自身の商品価値が上がれば、会社が買収されたとか倒産した場合でも、労働市場で売れるわけです。今まで8時間かけていた仕事を4時間でこなして、残り4時間は勉強に充てようとか、ボランティアをやろうとか、介護や育児に回すことも出来る。24時間365日、自主的に時間を管理して、自分の裁量で働く。これは労働者にとって大変プラスなことですよ。
 自己管理しつつ自分で能力開発をしていけないような人たちは、はっきり言って、それなりの処遇でしかない。格差社会といいますけれど、格差なんて当然出てきます。仕方がないでしょう、能力には差があるのだから。結果平等ではなく機会平等へと社会を変えてきたのは私たちですよ。下流社会だのなんだの、言葉遊びですよ。そういって甘やかすのは如何なものか、ということです。さらなる長時間労働、過労死を招くという反発がありますが、大体経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います。ボクシングの選手と一緒。ベストコンディションでどう戦うかは、全部自分で管理して挑むわけでしょう。自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなことは言えない、とヘンな自己規制をしてしまって周囲に促されないと休みも取れない。挙げ句、会社が悪い、上司が悪いと他人のせい。
 ハッキリ言って、何でもお上に決めてもらわないと出来ないという、今までの風土がおかしい。たとえば祝日もいっさいなくすべきです。24時間365日を自主的に判断して、まとめて働いたらまとめて休むというように、個別に決めていく社会に変わっていくべきだと思いますよ。同様に労働基準監督署も不要です。個別企業の労使が契約で決めていけばいいこと。「残業が多すぎる、不当だ」と思えば、労働者が訴えれば民法で済むことじゃないですか。労使間でパッと解決できるような裁判所をつくればいいわけですよ。
 もちろん経営側も、代休は取らせるのが当然という風土に変えなければいけない。うちの会社はやっています。だから、何でこんなくだらないことをいちいち議論しなければいけないのかと思っているわけです。」

 企業経営者、それも人材派遣業を営む企業の責任者のスタンスとしてはあまりにもプリミティブというか、単純といわざるを得ない。奥谷が正対してものをいうべき相手は労働者ではなくて、企業経営者なのではないか。「うちの会社はやっています」というのは他の会社がやっているということの裏付けには決してならないわけで、もし、仰るようにくだらないことであるのだとしたら派遣の時と全く同じ条件で契約社員にして目先を誤魔化すとか、何件もの労働基準監督局からの勧告を受けてもそれを実施しないといった経営者に抗議文を突きつけてみたらどうだろうか。ルールの裏をくぐる輩がいるから監督しなくてはいけないわけだから、ルールを完璧に経営者サイドのものにしてしまえばよいのだ、という発想を規制改革というのであればあなたのいう改革は人を幸せにする改革ではないだろう。そんな後ろ向きの「R」に賛成は出来ない。各マスコミも奥谷の発言を取り上げる時には同時に連合の長谷川裕子の発言も取り上げるべきだろう。