ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Las Vegas→Zion→Lake Powell

 ラス・ベガスのルクソール・ホテルのグループ・ゲートに午前8時に集合する。バスでやってくるグループ客が当たり前の様にいるらしく、ラス・ベガスのホテルにはどこもバス専用のエントランスが存在する様だ。結局インターネットにつなぐことができなかったので、チェックアウトを要するものは何もないけれど、念のためにカウンターに出向き、確認しておく。我ながら律儀なり。
 今日からグランド・サークルを巡る2泊3日のバスの旅が始まる。前半の3日間を一緒に過ごした人たちのうち、13人が今回も一緒で、その上この3日間から合流する人たちが20人もいて全部で33人にもなる。しかも、私たちのホテルが最後のピックアップホテルだったらしくて、バスに合流したときにはバスの中の席は先に乗った人たちの取りたい放題状況になっていて一人で二人分の席を占領している人たちばかりだった。おかげで私たちは最初から56人乗りのバスの一番後ろが常席になってしまった。尤も、実はこのバスは右側の後ろの席が足下が広くて快適なのである。
 昨日までの主ガイドのNateがこの仕事から外れ、サブだったガイドが主になり、サブにはまだ駆け出しだと思われるベネズエラからの移民でやっぱりモルモン教のミショナリーで日本に行ったことのある青年がやってきた。
 昨日のツアーの最後にガイド氏が「Area 51」の話をした。空軍の基地でいくつかの施設を含んだ地域のことを指すらしいが、この名前を出したら知っている人の中ではうんうんと頷くという「UFO」「宇宙人」の話題で有名な場所だというのだ。ある日、ラス・ヴェガスの街の夜景を楽しもうと山の上に車で上がった数人は、武装した兵に誰何され、挙げ句に二度とここに近寄るなと追い返されたといっている。この空軍基地に通勤する将兵は街から直接自分で車を運転しては行かないのだそうだ。後をつけられて認識されるのを避けるために彼らは空港に赴く。そしてそこから全くなんの標識も描かれていない、機体番号すら描かれていない複数の航空機に乗り組んで基地に入るという。どこまで本当か知らないが、それだけ空軍は掴んでいる何かを厳重に管理しているというのである。帰ってきてから検索してみると様々なところで論議されているのが分かる。こういう話は大好きである。
 ところでバスはなかなか動き出さない。何を待っているのかよく分からないけれど、結局ルクソールのグループエントランスからバスが出たのは08:40になってからだった。私たちはIS-15を北東に登り、アリゾナの北西端をかすめ、Utahの南西端にあるZion National Parkを目指す。Las Vegasといえばフーバー・ダムがある。これでコロラド・リバーを堰き止めてLake Meadを構成している。貯水量400億トンを誇るのだそうで日本のダムの容量全体で250億トンだという比較をするとその大きさがようやく分かる。この辺りは当然乾燥地帯で、かつては5年ドライが続くと、次に5年ウェットな時期が来るのが普通だったのだけれど、ここのところのドライ期はもう既に8年を過ぎているという。道路の脇には鉄道の線路があっちに行ったりこっちに行ったりして見え隠れする。Hidden Valleyのあたりに来ると砂漠の様なところに忽然と火力発電所の煙突が聳える。
 09:45にアリゾナ州に突入。私にとってのアリゾナ初体験だけれど、あっという間にUtah州に入ることになる。Zionに入ったらvisitor centerですぐに昼食にするから、この街のスーパーでお昼を買いましょうとガイド氏からの指示に基づいて立ち寄ったのがSt.Georgeという街だった。Wikipediaで見てみると2000年の国勢調査時点での人口と2006年の人口を比べると18,000人も増えている。ZionだけでなくてBryce Canyonもあって観光資源には事欠かないと同時にSky Westの本社やWal-Martの巨大流通基地がこの地にあるのだそうだ。それにしてもなんでこの街かと思ったらそもそもこの街はモルモンが温暖な気候を利用して木綿生産地として開いたことに起因しているんだそうだ。なるほど、やっぱりガイドチームがモルモンなんだからこうなって当たり前というものだろう。1877年に作られたモルモン・テンプルがここにもある。
 さて、ここで入ったスーパーマーケットは「Harmons」という店だった。これが類い希なる素晴らしいお店で、Los Angelesで入ったGelson'sとまでは云わないまでもそれにかなり追従する品揃え。ちょっと調べてみるとやっぱりSalt Lake City地域に集中しているチェーンで、それ以外では唯一といって良いのがこのSt. Georgeの店の様だ。ベーカリーは成城石井も軍門に下ろうかという程のレベルで軽井沢の浅野屋では太刀打ちが出来かねるのではないだろうかという程。その上チーズの品揃えも多種多様。しまいにはスシロールのtake outデリもあって、今日は売り切れてしまうのではないかという程の売れ行き。勿論私たちもワンパック購入。後はコールスローのパック、美味しそうなパン。品揃えだけでなくて、この店の店員はtipのからまない立場でありながら実にこれがホスピタリティーの授業の実習ではないかというくらいのレベル。いうことなしの店だったのだけれど、モルモン繋がりだという点がどうもなぁ・・・。バスに乗り込もうとして気がつくとこの建物の隣はpharmacyのdrive throughがある。ハンバーガー屋のdrive throughはいくらも見るけれど、この手の店では初めて見たかも。
 ところでSt. Georgeの街の名前はどこかで聞いたことがあると気になっていた。思い至ったのは多分1982年に刊行され、1986年には文春から文庫化された広瀬隆の「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」だ。周知の様にジョン・ウェインはあの西部劇の大物俳優だが1979年6月11日に72歳で死んでいる。死因は永年患ってきた癌である。
 あの変わり者ハワード・ヒューズが作った西部劇「征服者」(1956年公開)のロケ地がSt. Georgeから北北東に18号線を15kmほど辿った先にあるSnow Canyon(今ではstate parkに指定されている)で、1954年に撮影隊が入って計画通りに現地を造り変えていったそうだ。
 St. Georgeの街はネバダにあった核実験場からは220km東に離れている。1951年から1958年までの間に97回にわたって核実験が実施されたと広瀬は書いている。その度にネバダでの核爆発から22秒程度後にはSt. Georgeの街でも振動が感じられたのだという。もちろんこの核実験に訓練参加した多くの元軍人も、この界隈の住民も、そして西部劇映画の撮影に参加した俳優、女優、スタッフの中からも多くの人たちが癌にからんだ病でその生涯を閉じていることはUniv. of Utahの研究でも明らかになっている。ところがそうして研究の発言の中で調査を進めていた何人もの人たちが不慮の事故でなくなるという事態が生じている。西部劇に登場した数々の俳優の中で癌を病んで死んでいった人たちを列挙するととてつもない行数を要する。そして今回私たちが巡ることになるモニュメント・バレーを含む先住民の居留地からも大量のガン患者が発生していたということがこの本から分かる。雄大な景色も明らかに汚染されていたことを私たちは記憶として残しておかなくてはならない。広瀬隆の話はそれで終わりではなくて、わが国に設置されている原子力発電所、そして核廃棄物処理場を考えると、危険性はどんどん拡がっているのだという警告でもある。
 さて、われわれは9号線をとってHurricaneからLa Verkinを通っていよいよ南の入口からZion National Parkに入る。入ってすぐのところにVisitor Centerがあってキャフェテリアがある。例によってソフト・ドリンクスを頼むと紙コップをくれてそれで自分で勝手にディスペンサーから注ぐのはどこのファスト・フッド・ショップとも同じ。「水を貰いたいんだけれどいくら?」と聞くと「free」といってカップをくれた。水のボタンは分かりにくいけれど慣れるとすぐに分かる。何倍注いでも氷を貰ってもタダ。
 目の前にある広い芝生の広場には大きな枝の広がった木があって、みんなそこここに拡がって買ってきた昼ご飯を食べる。一段落したところでNorth Fork Virgin Riverを渡ってそれに沿って登っていくEmerald Poolsへのトレッキング・ルートを上がる。木陰には様々な動物が姿を見せる。すぐ手の届くところに鳥が巣をかけてひなを育てていたり、リスが姿を現したり、hummingbirdが飛び去ったりする。くねくねと上がっていくと上の岩からぽたぽたと水滴が落ちてくる。下には池。これがEmeraldのlower poolなんだろう。そこからまだまだ我慢して上がらないとupper poolには辿りつかない。私は時間と自分の体力を見て諦めて下る。
 今度はシャトル・バスに乗ってTemple of Sinawavaまで上がる。その間は川が流れ、両岸は迫る赤い岩とその上部の白い岩。終点で降りて、また川沿いに上に上がる。もう私にとっては限界かなぁと思うあたりから引き返しはじめるがこの道はかなり奥までいかれるらしくて、上から降りてくる人たちは、もういかにも相当歩いたぞ、という雰囲気だ。道は途切れるのだけれど、川の中を歩いていくナローズというルートがあるんだそうだ。何人もの人がVisitor Centerの売店で買ってきた杖を持っているんだけれど、これが富士山のあの六根清浄の杖の様に見えるのがおかしい。彼らは勿論そんな杖の存在を知らないだろう。ここでもノルディック・ウォークの様に例のストックを両手に持って突きながら歩く人も少なくない。シャトル・バスのポイントまで帰ってくるともう動きたくない、という雰囲気だ。下りのバスはとてもたくさんの人が乗ってきて、ラッシュアワー状態だ。私の目の前にガイドのT君が立っていてその横にBYUのシャツを着たおじさんがいる。T君に目で合図をすると彼が話しかける。同じ卒業生と知ってそのおじさんが彼に何をしているのと尋ね、彼がツアーガイドしているんだと答える。私が自分がそのガイディッド・ツーリストなんだよといったけれど、通じてないか。
 帰りのバスは疲れ果てて居眠りの連続だ。9号線を東にとり、標高1,500mのKanabを通り過ぎたのがすでに19:00である。89号線を通ってPageの街にほど近いLake Powell Resort & Marinasに到着。遥か彼方まで見渡せるフラットなところに人工湖であるLake Powellが拡がっている。ここからコロラド・リバーがLas Vegasに向かって流れていくのだ。今日は満月で乾燥した熱い風が吹き付ける宿舎の裏から見下ろすととても見慣れない風景が展開されている。ボートがもやってあるマリーナの向こうにはフラットな赤茶けた土地が拡がり、その先には三本の煙突を立てた発電所があるだけだ。何もかも丸見えなのはとても不思議な、そして落ち着かない風景だ。ビールを一杯呑んで昼のスーパーで買ったパンとサラダで夕食にする。ここの無線LANは電波が弱いのかむちゃくちゃ重たくて役に立たない。
(後日談:7月5日(土)午後9時からの「地球危機2008」〜10年後の私たちへの手紙〜という特別番組の中で長野智子がLake Powellを取材していた。その時三本煙突の発電所も映り「ナバホ火力発電所」とクレジットが付いていた。)