ほぼ足りてまだ欲 その先

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木曜日 新宿

 今月は今日の一回限りの保阪正康レクチャーに行く。来月は三回あるけれど、一回は出席できない可能性大。今日のテーマは戦後占領期の5人の宰相。
 5人の占領期の宰相を天皇に近い順においてみると、後の皇族籍離脱はあるもののもちろん東久邇稔彦幣原喜重郎、そして意外なことに片山哲がきてようやく吉田茂。そして遙かに離れて芦田均だという。しからばそれぞれのGHQとの関係という点ではいかがかと見るとだれひとりとしてマッカーサーとの間で信頼関係を築くことができたとはいえないだろうというのだ。就任期間が長くなった吉田茂が煩雑にマッカーサーとの間で手紙のやりとりをしていることは袖井林二郎が「吉田茂=マッカーサー往復書簡集」で明らかにしているように知られているようだけれど、その書簡は親しみ、あるいは信頼というものを明らかにするものではと手もないようだ。
 保坂は吉田茂の娘にして自民党幹事長の麻生太郎の母親である麻生和子にインタビューをした経験を持っているのだそうだ。ちなみに保阪正康麻生太郎と同年齢だという。「三人の息子の中でも一番優秀だったのはハーバードで物理を学んだ長男だったそうだが、彼は事故で死んだ。次男は麻生セメント。そして三男が太郎だが、吉田と比べると政治的な力量がないからねぇ」と評したのだそうだ。
 保坂は松代の大本営跡地を見に行ったそうだ。率直に「本当にものを考えない馬鹿が権力を持ったら何をするかわからない」とその印象を語った。周辺住民を一週間で強制退去させ、延べ300万人の労働者をある意味強制的に従事させたものだといわれているようだ。昭和23年に昭和天皇行幸した際に「無駄な穴を掘っていたというが、それはどこか」と聞かれたそうである。つまり天皇にはこの工事は知られていなかったことになる。
 保坂が紹介してくれた文献のうちで、年報日本現代史の創刊号「戦後五〇年の史的検証」(東出版1995)所収の論文に“「過去への取り組み」とは何を意味するのか?”(ベルト・パムペル著:ベルリン自由大学政治学部、オットー・ズーア研究所、山口定訳:立命館大名誉教授、日本政治学会理事長)がドイツの過去に対する取り組みについての基準を提言していて、私たちもこの視点でこの国を見てみることの必要性を示唆していて興味深い。私たちの国は吉田茂が作り出したというよりも選択の結果としてそうなってしまった日米関係を今もそのまま漫然と連続してきてしまっていて、その日米関係は一度はシャッフルされなくてはならないのだと保坂もいう。
 もう一冊入手したものは1949年に宮内府から宮内庁になったときの初代長官である田島道治の日記を入手した著者がまとめたものであるが、様々な周辺の人々との関わりについて述べている。意外なことにこの本を入手してみて「田島家資料」について書かれている章がとても興味深かった。
帰りにいつものように紀伊国屋まで歩く。
入手した書籍。

戦後五〇年の史的検証 (年報・日本現代史 (1995))

戦後五〇年の史的検証 (年報・日本現代史 (1995))

 こちらで入手可能。最新号は第12号で2007.05刊行。
昭和天皇と田島道治と吉田茂―初代宮内庁長官の「日記」と「文書」から

昭和天皇と田島道治と吉田茂―初代宮内庁長官の「日記」と「文書」から

いつものように地下の水山にて「チャンポンうどん」を戴く。冒頭の写真がそれ。夏なのにこれが美味しい。