ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

キー・パンチャー

 かつてパソコンというものがここまで普通に普及する以前の話だけれどデーターの集計のためにパンチ・カードというものを作ってデーターの該当箇所に穴をあけ、簡単にいえば櫛を通して穴の開いているカードだけをピックアップするという方式で集計した。これでもそれまでの人海戦術に比べて効率が上がった。このシステムを元にコンピューターを商品化したのがInternational Business Machinesという会社で、この会社が後にIBMという社名になった。
 人が書いた一枚一枚のデーター・シートを該当箇所に穴の開いたパンチカードに置き換えるためにはそのデーターを見ながら機械の該当箇所のキーを押す作業がものすごい速度で実施されなくてはならない。これの専門職をキーパンチャーといって若い、すばしっこそうな女性が主に担当していた。専門職で、ある種特殊技能の持ち主のように見ていた記憶がある。私が働いていた会社でも毎月のデーター集計がこうした作業で行われていた。ところがこの仕事は職業病の代表選手のようにいわれていた。腱鞘炎に悩む人が頻出したといわれる。私たちが中学校の技能・家庭科で勉強する中で林業従事者のチェイン・ソーによる白蝋病と共に必ず試験に出る職業病だった。
 私が働いていた会社ではコンピューターが導入されても最初の頃はデーター入力作業は専門職が行っていた。私たちは決められた入力シートに決められた記号で書き込まなくてはならなかった。アルファベットの「O」と数字の「0」との区別、数字の「6」と「9」の区別といった使い分けなんてところを間違えては毎月「記入ミス件数」なんてレポートが帰ってきてバカ呼ばわりをされていた。
 当時私たちは外国とのやりとりを手紙の他にTELEXというものを使ってやっていた。これは電話回線を使って文字情報をパルス信号に変えて送り、向こうでその信号を機械が自動的に読み取ってタイプを打って文字に再現するという方式であった。そのためには時間を節約するために電話回線をつながる前に6つの穴が並んだ紙テープに打ち込んで準備する。そのためにタイプを打つことになる。それでも労働時間の間、ずっと打っているわけではないから職業病にはならない。
 キー・パンチャーが職業病に悩むということが世間一般に認定されていたものだから、コンピューターが職場に導入されることになったときに、労働組合は過剰に反応した。いやいや、過剰だったかそうでなかったのかは、今だからいえるところであって、当時はパーソナル・コンピューターが職場に導入されることになって、どんな使われ方が考えられるのか想像がつかなくて、職場は混乱したことは事実だろう。
 そこで労働組合は組合員を守るためにコンピューターに携わる時間を制限して自らを守ろうとした。管理側も実態を予想できなかったものだからその理屈を論破できなかった。しかし、実際に導入されてみると、データーインプット請負業やこれまでのアナログ・データーをデジタル・データーに置き換える業務は別として、日頃の活動の中では個々の担当者が発生時点でインプットすることで良いわけだからかつての技能・家庭科で学ぶような職業病の発生は非常に限定された。この覚書が出来るときに自治労が頑張った時点では評価すべきことだったといっても良いが、自治労の大きな問題点は、仕事の実態が判明してからも、ずうーっとそれをそのままにして既得権として死守して仕事の効率を下げ続けてきたことにある。