ほぼ足りてまだ欲 その先

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安住する

 産経ニュースが伝える日米首脳会談のニュースで麻生首相が「日本は東京23区に約1000万人が住むが、その鉄道依存率は76%だ。高速鉄道網は米国の自動車文化を変える」と自説を展開したところ、大統領が強い興味を示した」と伝えている(産経ニュース2009.2.25 18:26)。
 人口の集中度という点で東京はまれに見る都市だからそりゃ比較の対象にはなりにくいんだよ、と必ずアメリカ人はこの考えを否定するだろう。中産階級以上の米国人は俺が好きなときに好きなところに行くのが自由というものだと思っているかの如くだ。それを実現できるのが人間としての成長なんだと思ってきたかの如くだ。
 その反動として1960年代から70年代にかけてのヒッピー・ムーブメントなんてのがあったのだろうし、ジョン・ミューアが取り上げられたり、Henry David Thoreauが見直されたりしてきたんだと思う。その延長線上にJon Krakauerが描いたクリストファー・J・マッカンドレスの考え方が注目を浴びたりする現象があると考えても良いのではないだろうか。
 だけれども、彼らはいうんだろう。「私たちにとって車は開拓時代の馬であり、われわれ米国人の出発点はフロンティアなんだよ」と。もうそんなものはとっくの昔に終焉を迎えているのにもかかわらず、まだ彼らには理解できない。まだ、やっていけると思っている。
 確かに東京という街はどんな方式を使って算出したってダントツの世界一の人口密度を誇っている。いや、誇ってなんていたくないけれど、しょうがない、そんなことになっている。私たちは箱庭の如くにこの狭い23区を掘りに掘りまくっている。緻密につなぎ合わせている。まるでレゴ・シティーを作っているみたいだ。こういう街は土建屋にとっては夢みたいじゃないだろうか。何をやっても良いんだ。で、ひと揺れ来てぶち壊れたら、またそこに何かを築き上げるチャンスが来るというわけだから。
 これだけ公共交通機関が張り巡らされていたら、もう車なんているわけがない。置いておくところを探す方が大変だもの。その証拠に最近都心の集合住宅では駐車場が埋まらない。近隣に借り手を求める管理組合まであるくらいだ。こうなると高齢者にとっても暮らしやすい地域になる。だから、どんどん都心部の人口の高齢化は進むだろう。
 逆にその分、地方に暮らす高齢者にとってはどんどん孤立化する時代がやってくるということではないのだろうか。
 麻生もたまには考えるきっかけを作ってくれるんだなぁと感じ入った次第。