ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

土門拳

 午前中から寒いと思ったら雪になる。お寺の屋根が見る見るうちに白くなる。ランチを食べに外にいこうと思っていたのに萎える。軽く食べて午後一番に家を出てしばらく行くうちに霙(みぞれ)になる。止むのかと思ったらいっかな止む気配がない。霧雨のようになってもまだ降っている。約2時間弱の解説レクチャーを聴いて外に出てもまだ降っている。

土門拳 風貌

土門拳 風貌

 日本橋三越でやっている「生誕100周年記念写真展 土門拳の昭和」を見る。土門拳は1909年山形県酒田市の生まれ。うちの死んだオヤジの二歳上で、酒田市というのは佐高信と同郷か。ということはうちの親父も2011年には生誕百周年記念として何かをやってやらなくてはならないか。
 土門拳の経歴を見ると小学校は麻布の飯倉小→横浜・磯子小→二ッ谷小学校(私が入学した小学校の隣の学区なり)から神奈川県立第二中学校(現横浜翠嵐高校)卒業。1935年(昭和10年)から名取洋之助の「日本工房」参加。名取と撮影した早稲田やお茶大の卒業写真が展示されていた。
 私にとっての土門拳といったら社会派写真家というイメージが色濃い。それは戦後の筑豊を撮った彼の写真が発表されたのが1960年でまさに私にとっては思春期真っ盛りだったからかも知れない。これや、広島被爆者、羽田闘争あたり以外は彼が撮影した子どもたちの写真が一番面白い。しかし、どうも写真の量からいうと、かれは仏像や神社仏閣にとても惹かれていたのかも知れない。法隆寺のあの柱はすごい。
 展示されていた写真の中で私にとってはとても面白かったのは様々な著名人の顔写真である。ビデオの中で土門は志賀直哉の顔は実に素晴らしい立派な顔だといっていて、確かにそんな感じだ。
 私が思わずニマリとしたのは谷崎潤一郎で、いくつの時の写真か知らないが、艶満家然とした顔は如何にもと頷いてしまった。谷崎の顔を写真にしろ見たのは多分私にとってはこれが初めてだろう。
 土門は1979年9月に何度目かの脳血管障害(脳血栓)を起こして昏睡状態となり、一度も目覚めることなく1990年9月に逝去したという。


Hottest New Group in Jazz

Hottest New Group in Jazz

 iTunesのラジオで「radioio Vocal Jazz」を流していたら、Lambert, Hendricks and Rossが"Swing Till the Girls Come Home"を演奏。これがジャズのbasistの大御所を片っ端からスキャットで物まねするという洒落たもので、それがまた一人一人似ているという秀作。この類で面白かったのは団しん也の"My Funny Valentine"だけれども、これはまた群を抜いていて、玄人受け。
 さっそく入手したいなぁと思ったけれど、Amazon USAの様に早く日本でもこの類をMP3で良いから切り売りしてくれないだろうかねぇ。日本ではこの2枚組を買うしかないのかねぇ。