ほぼ足りてまだ欲 その先

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全体主義国家

 中国という国は本当に不思議な国で、未だに社会主義国を標榜していて一党独裁だし、明確に情報管理国家だ。それは各メディアが報じているようにあの天安門事件20周年になる今日になってもあの事件のことを報道規制しているのを見ても良くわかる。
 しかし、実際の経済活動を見るとこれはその辺の民主化されてから50年ほどの島国から見てもそれ以上に新自由主義的やりたい放題の搾取的資本主義の道を突っ走っている。ホンの20数年前にはまだ普通にあった国営企業の計画的生産と称する投げ遣りな、数だけ合っていればそれで良いとするような工場ばかりだった国家からは想像がつかない。
 当時、自分が関わっていた業界と同じ業界の上海企業の工場を見学に行って、とてもこの工場の生産性では付き合っていくのは難しいと思った。まず生産現場でのモラルが全然違っていたからだ。適切な資材の選定という観点は物資不足から許されていなくて、許されていたのは「今ある資材で作れないか」という発想だった。
 ところが今の中国では如何にしたら安い資材を用いて儲かる商売ができるかが追求されているわけで、できるだけコストを下げるためには犠牲になる人間が多少その周辺に発生してもしょうがないだろうという、1960年代の日本そのものの状況にある。一気にここまで突っ走るのだから問題はたくさん出てくる。社会主義国家が命題としなくてはならない全国民の均等な生活の向上よりも儲けることのできる人間には儲けることを許す方向に行けばそれはもう既に社会主義国家の破綻を意味する。中国の一般民衆にこれだけの格差が生じてしまった以上、社会主義を標榜する国家としてはまったくの大失敗であって、それでも一党独裁を進めるのはむしろ全体主義国家というべきなんだろうかと、こうした言葉の定義もなんもわからん私はいってしまいたい。
 国民の幸せレベルをどこにおくかによってそこには大きな差が存在するのだろうけれど、政治的に安定した国家という点では北朝鮮や、中国は安定しているといって良いのだろうか。いやいや、キューバはそれを遙かに凌駕しているというべきだろうか。
 国民の権利を奪った挙げ句に経済格差を大幅に作り出している中国は誰にも知られている全体主義国家というべきだろう。