ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

怠け者

 私は生来の怠け者で、子どもの頃から何か目標を持ってそれに向かってまっしぐらに根を詰めてやるということができない人生を送ってきた。中学から高校に入っても日頃の真面目な復習の積み重ねなんてことに努力を払ったという記憶が全くない。偶々入れて貰った英語の塾が面白かったから都合4年間通ってそこだけは積み重ねた記憶はあるけれど、他にはない。高校に入ってからは数学にしても、物理にしても、生物にしても、地学にしても、みんな最初に習い始めた時は面白くて出てくる理屈を積み重ねると問題が解けるのが至極明快で愉快だったのだけれど、どれもこれも途中から先生が気に入らない人になるととたんに放り出してしまった。こんな奴のいうことをへいへいと聞かないといけないのが気に入らないというのが自分の気持ちの中の整理なんだけれど、今から考えてみると、全くバカで、思慮の足りない行為なのだ。損をするのは自分だけ、と良くお袋がいっていた。その通りなんである。
 古文の授業に至っては当時ラジオで高校受験番組に出ていた教師がこれ見よがしに自慢話をするものだから、こんなバカの授業なんてまともに聴いていられるか、と放り出した。彼が正月の宿題に百人一首を全部覚えてこいという課題を出した。そんなことを一生懸命やったら折角の正月休みをいやぁ〜な思いで過ごすことになるではないかと無視することにした。結果は赤点で、点数がそれくらいのなはどうでも良いが、この歳になってもまともに百人一首を知らないという自分で自分の首を絞める結果となった。
 と、ここまで書いてきてわかるのだけれど、全部自分のせいではなくて、人のせいにしているんである。
 大学に進学するに及んで英語を学ぼうというのが自分の意思だったのだけれど「そんなのは女のすることだ」というのがオヤジの方針で却下された。ま、当時は語学に進学するのは圧倒的に女性が多かったのは事実だけれど、却下されちゃってそのまま従うというのも「人のせい」にする結果を生んだ。
 就職をしてみると英語を使って仕事をする局面が多くて、入社するとすぐにまず英文タイプを打つことを練習させられた。これとて、自分の意思で始めたのではなくて、職場の決まりだっただけだ。だけれどもこれがあとあと自分をどんどん救ってくれることになったのは意外だった。尤も英語が好きだったという背景があったからできたのではないかと思う。
 そこから先は何かと英語が仕事について回った。それでも怠け者の血は廃れることはなくて、気に入らない仕事だと相手に情報を流すことすら怠けた。気に入った仕事だとどんどん動かして徹夜も辞さなかったのに。
 こんな具合だから気に入った上司との仕事は本当に滅私奉公に近い形で仕事ができるのがもう嬉しくてしょうがなかった。その後に付いた卑怯者の上司との仕事は自分の好きなことしかしなかった。それで給料をもらえていたのだから良い時代だったといっても良いだろう。しかし、自分が生まれて初めて自ら動いた結果の上司がそれだったのだから実に世の中は不思議だ。
 なにもかも人のせいにして生きてきたものだから、何かを乗り越えるために何かを手に入れようと努力をした、なんていう経験がない。乗り越えられないのはあれがないからで、そりゃしょうがない、と考える。普通だったら「あれ」を手に入れられるように準備をするという方法を選んで行く。そういうことができない。やらない。これはもう「怠け者」というしかない。
 おかげで何か残したというものがない。みんな自分の欲と快楽のために消費する。