ほぼ足りてまだ欲 その先

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徳島 裁判員裁判 判決

 結果的に被害者の父親である被告に対する判決は、求刑の15年に対して12年の懲役であった。

 昨日は弁護側の証人として群馬県立精神医療センターの武井満院長が証言。「裁判官が「警察に通報せず家族で我慢していたら、制度は機能しないのか」と質問。武井院長は「はい」と答えた。弁護人が「家族が何かをすれば、家族への暴力は収まるのか」と聞くと、「むしろ悪化する」とし、激しい暴力なら家族が相手でも警察や司法に委ねることが必要、と指摘した」と朝日徳島版は報じていた(2009年11月20日)。
 時事通信は「判決は、長男の家族内暴力など経緯に同情すべき点があるとする一方、「同様の状況で現実に向き合う人もいる」と指摘。「凶器の工具が折れるまで殴り、ためらいなく切断した残酷な犯行」と非難した」と伝えている(2009/11/20-17:31)。
 各紙の報道を見ていると判決に際して付け加えられているのは被告、つまり父親が被害者である息子に対して悔悟の念や謝罪の言葉を口にしなかったことを取り上げているのを見ていると、相当に心証が影響するのが裁判なのか、という点でなんだか割りきれないものを感じる。現場で傍聴していたわけではないからわからないけれど、この父親はそんなにふてぶてしい態度でいたんだろうか。
 閉鎖された空間、状況の中で修羅場になっている状態での精神状態というものが裁判所という空間で想像が付くのだろうか。そして自治体はこの裁判を通して何かを学んでいるのだろうか。現実の支援態勢になんの変化も起きないのだとしたら、この事件の加害者のものであり、被害者のものであったこの家庭が崩壊してしまったことはどこにも生かされないことになってしまい、第二、第三のこうした家庭が永遠に続くことになる。
 被告であった父親は息子の暴力を受け続ける中で、このままでは池田小の事件のようなことが起きてしまうと危惧していたと証言している。これだけみても自治体は有効に機能していないと指摘されても仕方がないだろう。
(追記:091121:被告の妻の発言(毎日新聞 2009年11月21日 徳島版):「目線が違う。病院から外されて居場所のなかった人間の目線には立ってくれなかった」「暴力を振るわれたのはいつかとの質問に、毎日続く暴力が想像つく人はいないのか?とあぜんとした」「生んだ責任を取れ。おれを殺してくれ。でないと、今に周りをえらいめに遭わすと生前話していたという被害者の長男に対し、『大きな事件起こさなくてよかったね』と言いたい」)