ほぼ足りてまだ欲 その先

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日本航空

 あんまり興味はなかったんだけれど、今朝のサンデー・プロジェクトの切り口を見ていて、日本航空の社員たちの頑張り、現社長の改革、なんていう取り上げられ方が実情にそぐわしいのかどうか、何となく疑問だった。
 考えてみると私はずいぶん昔から日本航空に乗るチャンスが少なかった。1970年に生まれて初めて飛行機に乗ったときは確かに日本航空だった。1972年にJALパックの旅に参加したときも、もちろん日本航空だった。しかし、そこから先は日本航空を利用することは非常に稀だった。あるプロジェクトに参加したときは、そのプロジェクトごと英国航空と契約をしていたからその当時は英国航空にしか乗っていない。その辺から先は豪州との間を行き来していた時を除いて(知り合いが日本航空にいた)国内線を含めて全く日本航空を利用していない。
 それはなぜか。どんな手だてを講じても安いフライトの中に日本航空が含まれていたことがなかったということだろう。特に近年はパッケージ旅行ばかりで飛行機に乗るけれど、指定された飛行機が日本航空だったことは絶無である。
 しかし、別段困ったことは一度もない。それはトラブルに遭遇することがなかったという幸運に恵まれていたということでもあるのだろう。航空会社のサービスは私のようなエコノミー、それもぎりぎりの値段で乗るような切符しか買ったことがない乗客には大したこともしてくれるわけではないから別段期待することもない。こういう状況の中では日本航空のフライトに乗る必然性はどこにもないのだ。良く外国の室内乗務員のサービスはむちゃくちゃだという。私もそう思う。しかし、昔からのイメージかも知れないけれど、私にとっての日本航空の室内乗務員のサービスも大して変わらない。
 1972年のJALパックの時は女性の乗務員は見るからに「なんにも知らないあんたたちにはこのくらいで良いのよ」の雰囲気ありありだったし、生涯に一度だけ上司のお供で乗ったことのあるファースト・クラスでは出発前に荷物を格納しているときに、チーフ・パーサーが私を見ながら女性乗務員に「あれもそうか?」と聴いているのが聞こえてしまった。いくら若造とはいえお客を「あれ」では基本的に間違えている。
 なぜかこういう事態に陥ってしまっても私があの会社のOBたちに同情を感じる気持ちがこれっぱかりも起きないのには、これまでエリート臭ふんぷんであった過去を知っているからなのだろう。かつての都市銀についても、日本航空にしても、税金から彼等を救うために大量の金を突っ込むことにはなんとしても納得がいかないのは、従業員が驚くほどの収入を得ていた人たちだったことを知っているからということもある。
 国の威信としてのnational flagとしての使命があるということで、どこの国にでも路線が延びていなくてはならないという条件を維持するのは正直いって無理がある。東京-Sydney路線では全日空はあっという間に撤退していった。それが許される全日空の気軽さとは好対照だということだったのだろうか。
 日本航空はこれではやっていけない事態が早晩必ず来るという洞察ができなかった、あるいはそれを顕在化することができなかった、そしてそれを許さなかった行政とこれまでの経営陣の責任はとてつもなく大きい。
 日本というこの国自体がそんな大それた「どこの国にも路線が延びているnational flag」を維持するような立場にいないんだということを自認した方が良い。