昨日が祭日だったものだからかなんだかわからないけれど、近所の友達から電話があって、遊びに行ったら見慣れない人たちがいて一緒に呑んだ。みなさん新たなプロジェクトを立ち上げられるかどうかともがいているところだったようだ。何をするにもお金の調達をまず考えなくてはというところか。
なんの祭日だったかなんて全く考えなくなっちゃって、気がついたら「勤労感謝の日」だってんだけれど、「いやいや、日頃のお仕事ご苦労様です!」というお休みの日に日本航空は退職者を集めて企業年金、まけてくださいよという説明会をやったらしい。
今朝のニュースショーを見ていたら、機長会の方がお出になって、「毎月5万円の積み立てをやってきたし、退職時には3900万円の退職金の中から700万円を積んでいたんでそれは自分の金を会社に貸していたわけで、それに利子を付けて返して貰うんだから減額なんて理に合わない」という。確か日本航空の企業年金は利率が4%強だという話。この方は1999年に退職されたというから、相当に良い給料だったということだろう。確かに相当に重要な職務についておられたのだからそれ相応の給料をお取りになるのは当然なんだろう。なんだか雲の上の話で、わが身と比べようもない。それでも私だって確たる給料をもらえる仕事に就いていられたんだから本当にそれだけはありがたい(それでも1割カットが随分続いたっけなぁ)。
死んだ義父は自分がやっていた家族零細企業で従業員の5人にきちんと厚生年金を掛け、その歳の決算後の利益を明らかにしてから従業員全員の協議でそれぞれの給与を決定するというなんだかかの国のかつての社会主義国営企業の様な運営をしていた。その代わりに景気が落ち込んだらその時はもちろん覚悟をしなくてはならないし、一度にどっと出て行ってしまう退職金はなしだから自分で考えろよといっていた。だから彼等はとても考えていた。家を構えるにしても、新築なんて買わないで、安い中古を郊外に探し、それをリフレッシュするという賢明なやり方。ちっちゃな、いつも終戦後から変わらないような格好をしていて、いつでも下駄履きや雪駄で、それも高級な奴は滑って履きにくいといって祭りの時に町会から出る古タイヤ再生底で表はプラスチックのような雪駄を愛用していたから、銀行員が主とは知らずに通り過ぎていったというような人だった。
自分が苦労したからうまくいったら独り占めする人と、自分が苦労したからみんなにはさせたくないという人というのが存在する。