ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 友達のリクエストに応えて郵便局に行くついでに本屋に行くために銀座まで出た。これが今日は大正解であった。星占いでなかなか良い結果が出ていたので何となくうきうきして出掛けたのだけれど、それがこんなことになるのだとは思わなかった。世の中捨てたものではない。
 今日は二の酉で、しかも大安吉日で、年末ジャンボの発売日。西銀座チャンスセンターの前には和太鼓がドンガラドンガラ叩く中、テレビで生中継されていた。
 昼ご飯をどうしようかと思ったのだけれど、4丁目の駅からの階段を上がったところで、私の足は知らないうちに松坂屋に向かっていて、こんな時間だからひょっとしたら松坂屋地下のスギモトで食べられるんじゃないかと密かに期待していたのだけれど、とんでもない話で、なんと椅子から溢れた人が立っているという具合で合計8人の人が並んでいた。しょうがないからまた乾山に入ってしまった。ま、ここのヒレカツは柔らかくて美味しいから良しとしようか。それにしても相当に時間をずらさないとスギモトは実現しそうにない。これまでにまだ一度しか食べたことがない。
 松坂屋の前の角は「クロサワ」のビル。かつてのクロサワはタイプライターを扱う店として大変に知られていた。私が英文タイプライターの練習をしたのはここのお店の教則本だったことを覚えている。今ではすっかり貸しビルとなってしまって若い人たちは多分City Bankのビルだと思っておられるのかもしれない。私にとってはとても思い出深いところで、クロサワのお店の文化的雰囲気がとても好きだった。今は全く足を踏み入れたことがない。
 さて、そこから銀座伊東屋方向に向かって歩き始めたところ、銀座松屋辺りで向こうからやってきた二人連れが目に入る。あれ!と思ったらこの週末に帰ってきているサンフランシスコのピアニスト、長部夫妻!声をかけるとびっくりされる。日曜日はこちらの用事であえず、昨日はsold outで行かれなかった。土曜日にお会いする約束になっている。今年の4月以来。京すしでお昼をして銀座の大先輩歌手の方の事務所に向かうところだというので、お急ぎだった。
 伊東屋にやってくると店頭ではプラチナの210円の「プレピー万年筆」の宣伝販売中。人だかりである。発売されてからおおよそ2年くらいだろうけれど、今までこれは使ったことがない。軸は再生材のポリカボ。今は7色で中字まで存在するんだそうだ。ちょっと試してみたい。
 友達に頼まれたものを手配するために2丁目の銀座通り郵便局にあがる。送金書類を書いてATMで処理をして振り返ると、そこに座っていたおじさんが私の名前を呼ぶ。誰だよ!学校のサークルの一年後輩だった。先週の日曜日に同じイベントに参加して打ち上げまで一緒だったのに、ろくすっぽ話すチャンスがなかった。なんでも彼は今月末で仙台に単身赴任をするのだそうで、この歳になって本当にご苦労なことだ。しかし、ここで逢わなかったら話もしないで彼は仙台にいってしまうところだった。しかし、月末まで殆ど時間がなくて、ゆっくり話す時間がなかった。
 鍛冶橋通りとの交差点に今日も「ビッグ・イシュー」のおじさんが立っていたのだけれど、気がついたら財布の中には大札が一枚ぽっきりだった。これを出すわけにはいかない。今度から気をつける。

ブックセンター

東京裁判とその後 - ある平和家の回想 (中公文庫)

東京裁判とその後 - ある平和家の回想 (中公文庫)

 全く知らなかったのだけれど、これは出版されたばかりで、下の本の全編新訳である。実はこの本はさまざまなところで翻訳に問題があると議論されていたもので、多くの東京裁判に関心を持つ人たち、あるいは翻訳者の方たちがそう書かれていたり、そう批判しているのを聴いたことがある。それを同じ翻訳者が全編訳し直したというものである。イタリア人の法学者カッセーゼとレーリンクの対談で、大沼保昭が一文を寄せている。
レーリンク判事の東京裁判―歴史的証言と展望

レーリンク判事の東京裁判―歴史的証言と展望


近衛文麿―教養主義的ポピュリストの悲劇 (岩波現代文庫)

近衛文麿―教養主義的ポピュリストの悲劇 (岩波現代文庫)

 岩波現代文庫オリジナル版と帯に書かれていて書き下ろしである。私はこれまで近衛を馬鹿にしていて彼についてはじっくり考えたりする必要はないだろうと思っていたのである。この際筒井によってガイドされてみようと思った次第。


ライシャワーの昭和史

ライシャワーの昭和史

 今更ライシャワーでもなかろうにと思ったのだけれど、出たばかりの翻訳本で翻訳者が昭和近現代史で実績のある人である。ここのところしばらくお目にかからないと思っていたらこの仕事にかかっておいでだったようである。訳者あとがきも私にとっては興味深い。
 ライシャワー元駐日大使がなくなってから来年で丸20年となる。多くの若者にとっては全く過去の人かもしれないが、私たちにとってはその時々によって重さの変わる評価が下されてきたという感の否めない存在である。


 米国に於ける戦中の日系人に対する米国政府の施策についてはこれまで私は多くの文献をあさってきているのだけれど、カナダの日系人については非常に断片的にしか知識がない。この本は決して新しくなくて、むしろ今更か、といわれかねないが、この際入手。


憎悪と和解の大江山―あるイギリス兵捕虜の手記

憎悪と和解の大江山―あるイギリス兵捕虜の手記

 著者は香港で日本軍の捕虜となり、京都府大江山の日本冶金のニッケル鉱山で働かされていたウェリッシュで、1996年になくなっている。著者は1984年に来日しており、訳者は二人とも大江山鉱山地元の出身だそうだ。
 この大江山のニッケル鉱山は明治大学に入学するために米国から帰国したまま戦争に入ってしまい、後にこの鉱山での通訳としての仕事を米国によって国家反逆罪として断罪された川北友彌がまさに任務に就いていたところである。ここには川北の名前は注意書にしか出てこないが、当時の様子をここから知ることができるはずである。

  • 日経ビジネス2009年11月23日号【特集】「移民YES」1000万人の労働力不足がやってくる:日経ビジネスがこんな特集を組む時代になったことに時代の流れを感じる。何度も書いてきたように、裏口から、単なる労働力としてのみ導入しようとする時代はとっくのとうに過ぎ去っている。なんだかんだとケチをつけて流動する移民から目を背けていると、この国は忘れられ、システムが壊れっぱなしになり、惨憺たる有様になっていくだろう。もう近未来のこの国を支える世代がいなくなることに気づくべきであろう。そのまま崩れていくことでかまわないというのであればそれはそれで話は別だ。もちろん「日経ビジネス」の切り口は企業が成り立つその根拠としての労働力の確保にあるのだろうけれど、そこには同時に市場としての国内確保という観点もあるかもしれない。しかし、いずれにしろ、そう先の話ではなくて、20年-30年という短い間にこの国のシステム、環境は大きく変わってしまう。それは覚悟しておいた方が良い。