ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

今日の散歩

 昨日、現役の時の先輩が言問橋の電柱を売ったことがあるんだと仰るのである。えっ!そういうのは鉄工所がパイプを使って工作するんだろうと思ったら、その供給するパイプが当時、その辺に転がっているパイプじゃなかったらしいのである。しかし、行ってみたら「照明灯は老朽化して危険であったため、現在仮説照明灯を設置しています」と書いてある。しかし、立っている支柱は(2種類あるんだけれど)古そうだ。や、待てよ、先輩は電柱と仰ったなぁ。と思って見渡すのだけれど、電柱と覚しきものは見あたらない。電柱というのは普通ケーブルを引っ張るために建てるものだ。そんなものはないのだ。このカモメがとまっているのがそうなのかなぁ。
 実は私も含めて昨日集まったのはそろそろ30年前になるのだけれど、その当時にアフリカの砂漠のど真ん中で工事を行った。その時に立てた電柱というのがなぜなのかしらないながら松材を用いることと仕様がなっていた。何もそんな砂漠のど真ん中に木材の電柱なんてわざわざ立てなくたって良さそうなものだ。それなのに、いくら代案を提示しても変更しようとしないのだ。あとあと困るに決まっている。やけに頑迷だったのはどうしてなんだろうか。ただただ日本の企業を困らせたかったのだろうか。私はその交渉の場にいないから知らないけれど。
 昨日のサッカーのテレビ観戦が尾を引いて起きたら遅かったものだから、言問橋にいった時点で既に午後2時頃になっていた。水曜日に休みで行かれなかった道灌山下の古本屋に行こうと、バスに乗った。このあたりに古本屋といったら一軒しかない。「古書ほうろう(こちら)」である。
 しかし、ちょっと腹が減ったので、ここまで来たんだからと動坂食堂で牡蛎フライに手を出した。ご飯少なめをチョイスしてもまだ残した。こんな時間に食べる食事をなんと呼ぶのだろうか。ブランチという言葉があるのだから、こっちはランナーとか呼ぶか。lunch+dinner=lunnerか。
 もう既にビールを傾けているおじさん、食い終わって新聞を拡げているおじさん、今何かを頼んだばっかりという30歳前後の青年の三人が先客である。それぞれひとりだから壁際にひとつおきにテーブルを占めている。じゃ、と、私は反対側のテレビの真下ではないテーブルに座る。
 おじさんがそれぞれ立ち上がって金を払って出て行ってからしばらくすると、どうやら時々顔を見せると覚しきおじさんがやってきてビールとつまみを3種類頼む。おばさんが最近禁煙になったことを告げる。吸いたいときには外に灰皿がありますからと説明している。
 そこへここの孫と覚しき小学生の男の子が帰ってくる。お店のおばさんが「お帰りなさい」というと即座に「ママは?」と聞く。「上に上がっているよ」という返事だ。最初に聴くのはやっぱりママなのか。それとも、ママだったら多分良いよといってくれるような頼み事があるのかも知れないし、この子のお父さんはいないのかもしれないし・・といろいろなことを想像しながら5つ乗ってきた牡蛎フライを丁寧にキャベツ、ポテサラとバランスさせながら食べる。残念ながら牡蛎そのもののリッチ感という点では先日神保町のキッチンジロー・南神保町店のものには叶わない。これは大量仕入れというチェーン店の強みなんだろうなぁ。
 私が「動坂食堂飯」を堪能して席を立とうとしているところに若いふたりの男が入ってきた。たっぷりの食事を注文した。この時間にがっつり食べようとしているこのふたりの商売は一体なんだろうかと想像してしまう。そのうちにこんな疑問を直ぐにその赤の他人にぶつけてしまわないとも限らない爺になってしまいそうで自分が怖い。それでも多分青年達はフフフと笑いながら対応してくれるだろうか。それとも「うるせぇんだよ、爺!」と啖呵を切るだろうか。おそらく前者だろうな、というのが希望的観測である。
 さて、それで「古書ほうろう」である。外の百円ワゴンを見ていたら和田誠の絵が表紙になっているものを見付けたのだ。なんだろうと手に取ると「the座」と書いてある。どうやら井上ひさしの劇団「こまつ座」の芝居のパンフレットになっているらしい。らしいというのは私は全く芝居というものを見ないので(あ、歌舞伎はまれに見ることがあるなぁ)全然知らないのである。学生時代に見た唐十郎の芝居や東京キッドブラザースで懲りたからかも知れないなぁ。観客たる私を巻き込まないで、そっちで完結していて欲しかったのだった。
 しかし、この冊子は至極面白いのである。こんなことならこまつ座の芝居を観れば良かったと、今になって後悔している。そういえば「こまつ座」の事務所ってのは柳橋の洋食屋「大吉」のビルの上に入っていたはずだ。
 で、お店の中に入ってみると、ご亭主が奥の椅子を並び替えたりしている。そういえばなんかある日だったかも知れないなぁ。良くここではマメにイベントをやっているらしいことがtwitterでも呟かれているのだ。先日も懐かしい名前と思った小坂忠がここで唄ったらしいし、今日は円橘門下の二つ目、三遊亭きつつきと活弁坂本頼光というアラサーの地元の二人の競演なんだそう。そうと知っていればそれにあわせてきたものをとも思った。ま、わたしのことだから行き当たりばったりなんである。
 「考える人」はありませんかと、近頃すっかり病気気味の「考える人バックナンバラー」と化している私がお伺いしてみたけれど、今は一冊もないというお返事だった。
 ここは守備範囲が広いし、新書、文庫もかなりあるからじっくり見ないで帰るわけには行かない。新書は堤未果の「貧困大国アメリカII」(いつものように売れている本をそのまま直ぐに新刊で買わないというへそ曲がりなので、その前作も読んでいない)と常石敬一の「七三一部隊」(講談社現代新書)。常石先生は2008年11月のメルボルン大学でのシンポジウムで発表されていたので初めて知った。
 500円の棚から山田風太郎の「戦中派焼け跡日記」を発見。鉛筆の書き込みあり。保阪正康によると「古本屋にまわしたあとで恥をかくから本に書き込みするのだけはおよしなさい」というのである。そういえば私は恩師に習ってごく軟らかい鉛筆で書き込むクセがあるなぁ。以後注意することにしよう。
 500円の棚からもう一冊はこれだ。表紙の写真と聞き書きのご本人のセリフにやられてしまった。しかし、うちに帰ってきてからAmazonで確認すると文庫本が出てるのであったのだ。

のり平のパーッといきましょう

のり平のパーッといきましょう

 今日一番高い買い物がこれ。これは地域ごとにシリーズ化されているらしくて、ちょっとお高いのだけれど、欲しい病が発症しそうで怖いものがある。他に「銀座・日本橋編」なんてあるらしい。面白そうである。
東京2時間ウォーキング―歩く、感じる、描く。 下町編

東京2時間ウォーキング―歩く、感じる、描く。 下町編

 かねてtwitterで良く発言されている新刊書店の「往来堂書店」に足を踏み入れていないからとわしわしと日頃歩き慣れていない足に叱咤をくれる。結局チラシを貰って帰ってきた。このチラシというのは何かというと、手書きの「たぶん週刊往来っ子新聞」なるものである。良いな、この手書きってところが。
 頑張っている書店というのはひと目棚を見たら直ぐにわかる。好きだぞ、この商売、と思っているのが良くわかる。店を入って直ぐ目の前に「D坂文庫」と称して人びとから推薦を貰って「あの人に贈りたい本フェア」を拡げている。その中に小沢昭一の「ぼくの浅草案内」(ちくま文庫)が入っているのは嬉しかったのだ。最近巷で評判の「海炭市叙景」も入っている、私にはちんぷんかんぶんだけれど。
 さて、そろそろ日が暮れるときになると急にあたりに冷気が降りてくる。そうだ、東西めぐりんに乗ろう、それなら百円だ!と思い立って団子坂から谷中小学校前に向かって歩き始めると、そこに前には見たことのない「日の本帆布」と書かれた看板を発見する。どうやら地下が店のようで、見下ろすとなるほど帆布でできたものが展示されているのだけれど、その中に普通良く見る鞄の他に、ハットやら上着なんてものまで置いてある。ついふらふらと降りて見るとお客は誰もいない。黒、カーキ色、生成りといった色だ。それでも鞄は概ね2万円近くする。今持っている無印のバッグが安くて丈夫で取り替えるニーズがない。帆布の上着ってのは着続けるとどんな風合いになるんだろうか。惨めになっちまうんじゃないだろうか。それがわからんね。
 もう坂を登るのが嫌になって、初音交番前にある停留所で乗ればまた昇っていくんだからとそこで待つ。なかなかやってこないのだけれど、交番の隣の履き物やさんの店頭がとても懐かしい佇まいで電灯の明かりの中に浮かび上がる。今日はそれでも8,000歩に届いていない。