ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

書籍

 ここのところ、他の出版物のお粗末さとの落差に困惑しながらも新潮社が出している季刊雑誌「考える人」のファンになっている。7月というのはそれが出る月で、本当は4日が発行日だった。しかし、あまりの暑さに、家を出る気が全く起こらなくて、新しい号の発行をあんなに首を長くしていたというのに、家を出なかった。それで、今朝はまだ暑くならないうちにと、午前10時前に家を出て銀座に向かった。
 駅に向かう途中で頭を刈って貰おうと思っていたが、いつもの千円床屋はまだ早すぎて開いていなかった。銀座に到着して、まず山野楽器に寄ってオペラとジャズ・ヴォーカルのCDを見たいと思ったのだけれど、こちらも早すぎて開いていない。ぐるっと見回すと、殆ど開いていなくて、いつも立ち寄る教文館とアップル・ストアが開いているだけで、ほぼ私のための時間のようだ。

考える人 2011年 08月号 [雑誌]

考える人 2011年 08月号 [雑誌]

 教文館に入ると、あった、あった。片隅にひっそりと「考える人」が梅棹忠夫のモノクロの写真の表紙を見せている。梅棹といえば、私にとっては今西錦司であり、西堀栄三郎である。西堀栄三郎と云えば、初代南国観測越冬隊長である。
 (そうそう、先週の金曜日にニッポン放送の「ごごばん」で南極の石についてのメールを書いたら、それが読まれたのだそうだけれど、私は昼寝をしてしまって聴いていなかったのだ。)
 今回の梅棹特集の目次を見ると、なんと鶴見俊輔の名前を発見した。そうか、鶴見も京大にいたのだ。70頁を繰ってみると、鶴見らしい文章なんだけれど、気がついたら梅棹忠夫著作集に1989年に書いたものの再録だった。
 梅棹は「思想の科学1954年5月号」に「アマチュア思想家宣言」を書いた。京大式カードを作ったのは梅棹だった。「知的の生産技術」なのだ。私の対極にいる人なのだ。
 花森安治の話がある。新潮社らしくなくワクワクする雑誌なのである。

 第17回講談社エッセイ賞受賞作で、2001年にマガジンハウスから刊行されたものの文庫版。この種の本をあんまり読まないんだけれど、教文館の二階で手にして見たら、漱石、熊楠、子規、露伴、紅葉、緑雨なんかと一緒に、かの宮武外骨が慶応三年生まれの同じ年齢で、この中では最後まで生き延びてなんと昭和30年に米寿を全うして大往生したんだというのだ。なんと私は8年間彼と同じ空気を吸っていたと云うことなのだ。と、思った途端に買ってしまった。ついでに岩波書店の「図書7月号」を貰った。これ、読みで充分なんである。巻頭に中川李枝子が書いているものを読んで「留岡幸助」の映画ができていることを知る。

 週刊金曜日の4週間分と「世界」7月号も入手した。