ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

総括原価方式

 まぁ、自分の不勉強がいけないといえばその通りなんだけれど、関心がそこに向かなかった。
 電力会社が電気の値段を決めるには電気事業法によって総括原価方式が適用されているんだそうだ。これは電力の原価に規定の割合の利益率を加えた前コストが電力料金として反映されるという方式だから、絶対に赤字になる可能性がない。だから株価が下がるはずもない。同じ割合の利益率が適用されているのだから原価のパイが大きくなればなるほど絶対金額が大きくなるわけだから電力会社としてはどんどんパイを大きくして行かなくてはならない。だから、どんなことがあっても金のかかる施設を拡大して行かなくてはならないのだと今朝のテレビ朝日のモーニング・バードというモーニング・ショーで玉川が解説していた。
 なるほど、これで、どんなに発電能力が充分にあっても金がかかる施設を造り、これを動かしていけばいくらでも利益が増えるという図式をどうしても電力会社が確保したがる理由が良くわかったし、株式会社でありながらまるで財団法人のJRAやらJASRACみたいな高給を社員に配分できることに納得ができる。やっぱり民間会社は競争がなくてはならないし、そうでないのであれば、国有機関としなくてはならないのが、どうしてもなくてはならないインフラ供給の形態ではないのだろうか。
 ガスについてもこれはリヴューしていかなくてはならない。
 それにしてもどうしてこんな形態がそのままで放置されてきたのだろうか。これが戦後のインフラがギタギタに破壊されていた時期に、どうしても電力配電網を復興しなくてはならないという状況にあっては理解を得られる方法であっただろう。しかし、それをそのままに放置してきたのは何が原因だったのかといえば、これは明確にこの利権に群がった政権に問題があったということだ。政界も、業界を管轄する霞ヶ関、つまり通産省も諸手を挙げてこのミツに群がってきた。
 こんな美味しい話を他の人間に知らすわけがないのだ。そして、電力会社やガス会社が工事を発注すると、官公庁が発注するのと同じように、標準単価は決して工事請負業者が足を出す様なものではないから下々までゆったりとした受注金額が望めるのだ。つまり、みんなが美味しく懐を満たすことができるシステムになっている。
 こんなシステムを関係者が一般国民に知らしめるわけがない。これは一種の税金だといっても良いだろう。応分負担の税金だと思えばわかりやすい。
 システムとして破綻している原子力発電システムを阻止すると、電力会社が下々に分配する分の絶対額が減少してしまう。だから、止めるわけにはいかない。こういう事情があったというわけだ。なんだ、分かり易いじゃないか。
 つまりどういうことがこれから起きるのかといったら、放射能汚染を引き起こす負の連鎖をどうやって断ち切るのかという議論がまず始まらなくてはならないということだ。
 そのためには電気事業法を改定して行かなくてはならないということになる。これを民主党ができるのか。いや日本の各政党がやる覚悟があるのか、私達は見張って行かなくてはならないということだ。
 しかもそれをやらせる様に見張って行かなくてはならないということだ。