ほぼ足りてまだ欲 その先

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すべてはあそこから

 昨年の3.11以降、大きく世の中が変わってしまった。福島の原発があんなことになってわかってしまったことがたくさん出てきた。しかも、その大半はもう何十年も前からわかっていたことで知っていて知らない振りをしてきたことばかりだ。
 廃棄物はどうするんだとずっといわれてきた。六ヶ所村になんか造っているのは知っていた。しかし、あれは最終処理ではないのも知っていた。海洋に投棄したという話も知っていた。新しい原発が建設されると決まって、現地では反対派と賛成派で必ずぶつかり合ったものの「このままだったらこの村(街)はにっちもさっちも行かなくなるんだぞ」という声が「放射能は怖い」という声を「科学的根拠がない」といって封殺どころか蹂躙されてきたことも何度も見てきた。
 それでも直接自分には関係がないと見てみない振りをしてきた。反対運動に現地に行くなんてことは一切したことがなかった。だけれども、原発霞ヶ関が仕切っていたのだから、私の責任じゃないんだからと自分に言い聞かせていた。それでも、原発を動かすということは廃棄物を作り続けることであって、放射能が拡散する危険性をどんどん作り出しているのだということも知っていた。知っていたのだから余計に始末が悪い。私たちの年代は第五福竜丸のことを知っている。水爆マグロという活字が新聞に載っていたことを知っている。久保山愛吉という人の名前を知っている。だから放射能が人にどんな影響を与えるのか知っている。それなのに、原発を建設するのは危険だと反対しなかった。
 こんな事になる前は自分に責任がある訳じゃなし、と思っていた。
 こうなってみたら、自分だけじゃない、経産省の役人も、電力会社も、三菱重、日立、東芝のメーカーの誰も責任を取るというつもりはない。じゃ、誰が原発をこんなに広げるという国家方針の責任を取るのか。
 こういう未完成なシステムを危険を承知で見逃してきた政治家たちの跋扈を許してきた選挙民の責任だといって良いだろう。つまり、私たちは個々の政治家を見張っていなくてはならないのだ。
 汚染された土壌の土地に魚市場を持っていくことを積極的に勧めている元不良小説作家をそのままと知事に選出し、保坂展人衆議院議員から落選させた東京都民は間違っている。