ほぼ足りてまだ欲 その先

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未発見

 3.11以降の原発反対の流れの中で、NHKフィンランドの世界初の使用済み核燃料・最終処分場「オンカロ」のドキュメントを流したことがあって、このドキュメントの中では地中深く使用済み核燃料を埋め、10万年後に放射能フリーになるまでここに保管するというアイディアを知った。しかも彼らは10万年後の社会がどうなっているのかわからないという議論までしていて、それに備えてここにこんな施設が埋もれているぞという表記をどこかにしておくべきか、なにも表記するべきでないかの議論までしているといっていた。その頃に今通用している言語が通用するかどうかわからないではないか、そうだとした時に、なんだかわからないけれど、敢えて記さなくてはならないほどの重要なものかと掘り出されたら困るじゃないかというのだ。
 その「オンカロ」を昨日のテレビ朝日報道ステーションが取り上げていた。驚くことにあの掘り進むトンネルには地下水がしみ出す部分があり、今掘っている使用済み核燃料用の垂直穴は試験掘削に過ぎなくて、どれほど実用に耐えられるのかのための実地試験堀だというのだ。中には垂直穴の壁に地層のズレが見られるものもある。そうしたものは不適格として適用されないとしたら、掘る穴の多分8割ぐらいしか使えないのだそうだ。これの目処が立たないと新たな原発は建設に着手を許可されないという。
 ドイツではかつて堅牢な地層だと判断されて放射能汚染ゴミが廃棄された古い塩坑が実は地下水に侵されていて、再度これを掘り出さなくてはならない羽目に陥っているという。
 この状況をつぶさに観察したら、とてもここからまた使用済み核燃料を増やすわけにはとてもいかないことがわかる。そういう状況がはっきりしているのに、「安全基準を満たしている」という、それも国民が信頼できる形ではないのが目に見えているというのに、再稼働する、それを決断する、無責任さにはあきれかえるばかりではないのか。
 今の福島の現状を見たら、放射能で汚染されたままの、これから先いつまでも汚染の実態が完全に払拭することは決してないという状況でどうして、金さえ入れば良いという観点に立つことができるのだろうか。