ほぼ足りてまだ欲 その先

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むのたけじ

 むのたけじという人のことは随分前に聴いたことはあった。しかし、多分一度忘れてしまって、つい最近またコロッと思いだしたのだけれど、大きな声ではいえないが、まだご健在だとは思いもしていなかった。今年の1月でなんと96歳である。
 しかし、戦後の朝日新聞の話を摘み読み(最近つまみ読みばかりだ)していたらポツダム宣言受諾が決まったという知らせの中で朝日新聞社の中で、このままの大勢でコロッと態度を変えて新聞を発行していくのは堪えられないと辞めて故郷に帰ったのだと知って、骨のある人だったんだ、じゃなくては自分の新聞を発行し続けていたなんてことができるわけがないと思った。
 今日のNHK-BSプレミアム100年インタビュー」は「96歳のジャーナリスト・むのたけじ」だった。なんのきなしにちゃんねるをまわしたら、大写しになったのが「むのたけじ」だった。私は彼の顔をかつてどこかで見ていたのだろうか。思わず「あ、これはむのたけじじゃないか!」と叫ぶ。そこからは最後まで身じろぎもしないで彼の饒舌な、話を聴いてしまった。聞き手が有働由美子である。彼女のあの無表情で瞬き一つしない、冷血な感じがむのたけじとは正反対で、なんでこんな女がインタビュアーなんだろうかと不愉快だったのだけれど、彼女が「私はバブルの世代なんですが」というのを聴いて、なるほどと納得した。あの当時、日本人は誰も彼もが「ドヤ顔」をしてカリフォルニアを買い占めろと檄を飛ばしておったのだよ。
 むのたけじは東京外語大のスペ語を地元の篤志家の援助を得て卒業後外交官になりたかった様だけれど、報知新聞に入った。そこから朝日新聞に入って1945年8月14日に辞職した。1944年に3歳の娘を疫痢で死なせた。あれから67年経つがあの悲しみは今でも癒えないというのだ。
 戦争が起きてからは何をいうこともできなくなって、隣近所がみんなして鵜の目鷹の目で辺りをうかがう様になり、繋がりは断ち切れていながら、非国民、国賊といわれない言動しか取れなくなってしまう。始まってしまってからでは何もできない。起きない様な手だてを考えて行かなくてはならないのだという。まさにその通りだろう。そしてそのためにはジャーナリズムは闘わなくてはならない。新聞も放送も出版もジャーナリズムの世界は社長も、デスクも、キャップも、カメラマンもない、みんなが同列で意見を戦わせる様でなくてはならないと口から泡を飛ばして力説する。
 今の日本のジャーナリズムの誰が彼の言葉を否定することができるというのか。
 何年か前に40代、50代の女性達の前で、「実際日本の兵隊は中国で本当は何をしたのか」と聞かれ「ようございます、今日は洗いざらい喋りましょう」といって従軍記者として滞在していた中国での話を包み隠さず話し始めたら、途中で「わかった、わかったからもうこれ以上は充分だ」と遮られたという。平時には人を殺したら刑務所に行き、あるいは死刑になるが、「戦争」に行くと何人殺したかによって勲章が貰えるわけだ。「戦争」になるとアメリカ人もオーストラリア人も、ロシア人も日本人もみんなとんでもないことを平気ですることになる。強姦、略奪、暴虐の限りを尽くしてもなにも思わなくなる。
 一度起こしてしまった戦争は誰も止めようとしないし、止められなくなるのはもう学習している。原発を維持していつでも核爆弾を作れる様にするべきだなんて全く人間性を逸した青二才は「むのたけじ」の前で何が言えるというのか。