ほぼ足りてまだ欲 その先

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産経新聞、面目躍如

 ま、真剣にこの新聞を読んでいる人がいるとはとても思えないけれど、それでも産経新聞は一応街中で普通に売っている新聞なのであって、霞ヶ関の機関紙、あるいは自民党公明党の旧連立政権を中心とした旧体制グループの機関誌だ、というわけではない。先日の9.11の新宿デモについてのかれらのこの記事を見ると、偏っているというよりも、既成利権システムを守るためには放射能汚染にどんなに国民が晒されようと、そのためにどれほど国民が反対の意を表そうとそれを叩きつぶす、という意図を表しているかの如くに見える。

デモ・イベント情報で一気に人“集結”…ネット反響困った 警察パニック警戒
 インターネットでデモへの参加を呼びかけたり、イベント情報が広がったりした結果、予想外の人数が集まり、混乱が起きるケースが目立っている。東日本大震災後の反原発デモには、酒を飲んで騒ぐ“不届き者”の姿も。「芸能人がいる」とのデマ情報がネット上で飛び交い、パニック状態に陥ったこともあった。死傷者が出る恐れもある「ネットの反響」に警察当局は頭を悩ませている。
 大震災から半年の9月11日。東京・JR新宿駅周辺で行われた反原発デモは、主催者側がネットで「出入り自由」「踊るだけでももちろんOK」「めんどうな集会などいっさいなし」と告知した。その影響か、警視庁への事前届け出の参加人数1千人に対し、倍以上の2千数百人が集まった。
 通行規制が行われる車道を練り歩くデモ隊には、大音量の音楽を流すサウンドカーが混じり、打楽器などを打ち鳴らしたり、仮装したりする若者も多数。酒を飲みながら、反原発を訴える姿も見られた。
 「ネットで見て、様子を見に来た」。飲酒しながら参加した都内の20代男性は赤ら顔でこう話した。
 警察官の通行整理に従わない参加者もおり、12人が公務執行妨害の現行犯などで逮捕された。沿道には眉をひそめる買い物客も少なくなく、「まじめにやれ」との声もあがった。
 震災以降、反原発を訴えるデモは東京を中心に各地で起きており、ネットでの呼びかけをみて集まる参加者が多いようだ。警察当局によると、政治団体や市民団体のメンバーを中心にしたデモとは異なり、参加者数の予測がつかないため、警備は難しい。
 デモだけではない。最近では、芸能人のライブやイベントなどで予想外の人数が集まって混乱し、途中で中止になるケースも多い。
 昨年3月には、東京・原宿の竹下通りに「芸能人がいる」という情報に殺到した女性らが、折り重なるように倒れ、13~14歳の少女4人が頭や腹を踏まれたり、過呼吸の症状を訴えたりして病院に搬送される事故も起きた。
 実際は近くで開催されたスポーツイベントに芸能人が出演しているだけで、情報はデマだった。若者らが携帯電話を使ったツイッターやメールでデマが一気に拡散、人が集まった結果、パニック状態になった。
 ネットで国民運動が広がり、中東の独裁政権を次々と倒したジャスミン革命もあり、否定的な一面だけではないが、一方で英国の暴動など危険な事態に陥る可能性もある。
 警察幹部は「街中でまじめに意見を主張することは尊重すべきだ。ただ、事故やトラブルにならないよう警戒しなければならない」としている。
 デモやイベントに不特定多数の人を集めるインターネットの情報発信力について、新潟青陵大学碓井真史教授(社会心理学)は「ボランティアの募集などうまく使えば、非常に効果的だが、一方で多くの人が扇動される危険性もあり、注意が必要」と警告する。
 碓井教授は「当初は情報伝達手段に過ぎなかったネットだが、最近では日常的にネットショッピングをしたり、ネットを見てどこかに行ったり、人々がネットによって行動するようになってきている」と分析し、影響力が拡大していると強調する。
 ネットを見てデモに参加する心理については「政治的な組織に入って参加するのとは異なり、心理的ハードルが低い。その分、深く考えずに参加する傾向があり、その場が楽しければいいという感覚もあるのでは」と話した。犯罪や問題が起きる背景が浮かぶ。(産経ニュース 2011.9.15 23:14)

 この記事を読むと「ネットで一気に反響」があることは困ったことだといっているということに聞こえる。誰がが困るというのか。新潟青陵大の先生のコメントは一体全体どんな質問に対するコメントだったのか。「ネットで呼びかけられるようになった」のは現代の縮図である。それならば、エジプトやチュニジアの政変は問題で困ったことだと産経新聞はいいたいのかも知れないけれど、 新潟青陵大の先生はそれを意図しているのだろうか。
 明らかにこの記事は、「良いか、お前ら、こんなデモに参加するんじゃないぞ」という警告を意図している。デモが届け出以上に参加者が膨らんでしまう結果が困ったことなのだとしたら、それはいったい誰にとって困ったことなのか。
 明らかに霞ヶ関にとって、東電にとって、電事連にとって、彼等をスポンサーとしてきたマスコミにとって、困ったことなのではないのか。赤ら顔の20代の青年が一体この2千数百人の中に何人いたのか。それはなんという名前の青年だったのか。

 どう考えても鉛筆の先を舐めた記事でしかない。多分、数少ない産経新聞の読者はこの記事に気がついていないかも知れない。しかし、(私は認めていないけれど)社会の公器としての大新聞だと自らが思っているとしたら、あまりにもお粗末な体制ヨイショ提灯記事だ。