ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

コマーシャリズムに絡め取られる

 渋谷ってのも随分行かない。特にセンター街なんて殆ど行かない。なんで行かない?うるさいからだよね。好みじゃない音楽がドンガンドンガンいっているし、眼がちかちかするようなケバイ(この言葉も私の言葉じゃないな)看板林立だし、何よりも汚いし、人は駅からムキになって向かって歩いてくるし、その辺の爺がのんびり歩いてちゃ邪魔なんだよ、といわれているような雰囲気がする。
 バカヤロ〜、なにいってやがんだ。俺たちが10代の頃はこんなところはだっせぇ〜を絵に描いたような街だったんだよ。公園通りに至っては灯りのついた店なんて数えるほどだったんだよ。Giraudができてようやく明るくなったってぇくらいだよ。こちとらぁ横浜からわざわざ遊びに来てやってたんだぜ。この街に来るのは東急文化会館の上の名画座か、全線座に格安洋画を見に来るか、一時間100円の玉を撞きに来るくらいだったぜ。(一体いつの時代の話だよ)。
 というような渋谷に連れあいと一緒にBunkamura美術館でやっているフェルメールの3点が見られるというフランドル絵画展を見に行ったのだ。連れあいはかつて渋谷の「西村フルーツパーラー」に学校の帰りに入っていて、学校の先生の見回りに見つかってこっぴどく怒られたことがあったんだという。その西村は辛うじて交差点近くにビルとなって残っている。辛うじてあれくらいで、他は殆どもう当時の店は残っちゃいない。
 大体TOKYUったってデパートはもう昔のデパートではなくてショッピング・モールみたいなものなんだから昔のままのものなんてもうあり得ない。どうせ上に上がったって縁があるわけでもないからと帰りに地下に降りて見たらスーパーのKINOKUNIYAが入っていて面白い、見慣れないパンを売っていたから思わず買った。
 さて、それで「フェルメールからのラブレター展」である。平日の午後3時近辺を狙えば多分おばさん達は夕食準備で帰っちゃうだろうし、爺さん婆さんはもう引き上げるだろうと思っていったんだけれど、意外なことに若い女性がたくさんいて、私の計算の中には全く含まれていない要素で、いやぁ〜もう世の中からはいやという程かけ離れちゃってんのね、とガッカリしたのである。
 「手紙を読む青衣の女」(アムステルダム国立美術館アムステルダム市寄託)「手紙を書く女と召使い」(アイルランド・ナショナル・ギャラリー)「手紙を書く女」(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)という3点が飾られていた。ところが、これらの絵はこれまでテレビや雑誌でかなり見ているので、「あぁ、あれね」程度なんである。ヤン・ステーンやらピーテル・デ・ホーホ、ヤン・デ・ブライ、コルネリス・デ・マンだなんだかんだと次から次に17世紀の画家の小さな作品が実に良い。実に良いのだけれど、やっぱりこれだけたくさんの人達がぞろぞろと列を作って少しっつ前にずれて行く中に自分をはめ込めないので、後ろから人の頭越しに見ているのは愉しみにくいものがある。
 中に数点見たことのある絵があって、なんでだろうと思ったらテレビの番組で山田五郎おぎやはぎが見せてくれた絵だった。テレビって役に立つのだ。
 この展覧会の絵のレイアウトは右と左がパラレルに繋がっていて、片側をずっと辿っていったらもう一方に自動的に戻ってくることができるのかと思ったら、そんなことはなくて、どこかで適当に切り上げて反対側に飛び移り、またどこかで適当に切り上げて映るという技が必要だ。
 当然のように最後の出口前には売店ミュージアム・ショップという程上品なもんじゃない)があって、考えられるすべてのものが並んでいる。もうわんわんしている。美術館にやってきた雰囲気じゃないのね。これはやっぱりデパートの延長線上なんだなというのが実に実感できるのだった。
 ところで、これに呼応してなのか知らないけれど、銀座の松坂屋の裏でフェルメール全37点のデジタルマスタリングしたものを見せている「フェルメール光の王国展」なるものが開かれているんだそうだ。こちらはなぜか福岡伸一監修なんだそうで、入場料は1000円だけれど、夜間特別鑑賞券はなんと3000円である。ふ〜ん。