ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

不良といわれて

 私が高校生の時に、ビートルズから始まり、そして、ほんのちょっと遅れてアコースティック楽器によるフォークブームが到来して、一気に自分で演奏して唄うという行為が大衆化された。もちろん音楽産業がその機を外さずにそうした場を提供したということもあるけれど、「不良」という概念を見事に覆した当時の子どもたちの力は侮れない。
 一番受けに入ったのは今も昔も変わらない、そうした子どもたちが手にしている財布の口を開かせようとするコマーシャリズムには違いない。しかし、なによりも今のようにちょっと可愛い顔してテレビに出てきたりブログを書いたりしたら名前が知られるわけでもなかったから、やっぱりほんのわずかに流れた音楽を自分も真似して歌ってみたい、音を出してみたいという、ただそれだけだったのだろう。
 そしてその根源にあったのは異性に見られたい、という実に邪悪(笑)、かつ単純な動機だったに違いない。なにしろ周囲にあったのは日活が吉永小百合浜田光夫を売り出すための脚本とやっつけ仕事で創った映画くらいしかなかったし、「愛と誠」の実に微笑ましくも、実に悲しいストーリーだったし、こうしてひねったらこんな金が出て、それを斜め45度からこう攻めたらまた違う金が出るといったハイブリッドな裏工作集金マシーンなんて発想がないから、実に単純だったのだろう。
 高校生の癖にホテルのボウルルームを借りてパーティーをやったら面白いんじゃないかと、都内のこぢんまりとしたホテルを歩いたことがあったけれど、彼らが見る眼は「こんなガキに客ヅラされて堪るか」という眼だった。当時の高校生はおとなの社会に足を踏み入れるのは不良だったからだ。今の高校生は平気で煙草を吸い、居酒屋に出入りするけれど、そんなことは許されない社会の眼だった。
 だから、音楽を若い人たちの手に獲得したのがあの時期だったといっても良いだろうねぇ。なにしろそれまでの音楽現場は駐留軍のベース周りをしていた人たちの範疇だったから、まともな若者がそれに近いことをするのは「まともじゃない」という判断を下されていたし、明日をも知れぬ時期を乗り越えてきた親たちは、何もわざわざそんな世界に足を踏み入れなくたって良いじゃないかという気持ちだったのではないかと思う。だから、新聞もPTAの価値観に裏付けを与えたりしていたんだろうなぁ。
 今、誰も彼もがライブハウスのステージを借りて人前で唄うことができる時代がやってきてみると、一体全体、あんなに「不良」呼ばわりされた私達はなんだったんだろうかと不思議な気持ちになる。だから、爺さん達のバンドにこんなにあっちでもこっちでも遭遇するというわけなんだろうな。