ほぼ足りてまだ欲 その先

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消化力

 日本人の消化力は凄い。何でも飲み込んで、何でも超一流の研究者を生み出し、現地にいる人を遙かに凌ぐ蘊蓄を語る人が出てくる。昨日のテレビでも古代ローマ史研究者がポンペイの遺跡について詳しく語っていたし、エジプトのピラミッドだって、例の先生が今でも新たな発見を繰り返しているっていっている。バルセロナの建築中の壮大な教会だって日本人が石工として働いていて、傍ら、案内書まで出版している。それを読むと実にあの建築家の面白い頭の中が垣間見えてくる。
 かつては東京芸大の先生がラジオやテレビに出てきては世界各地の音楽やそれを奏でる楽器を見せてくれていた。ところが今や各地の音楽を日本人が奏で、踊り、それで一大業界にまでなっている。
 現地では土俗宗教なんぞが元になっていた音楽や踊りでありながら、全くそうした現地習俗や宗教に関心なんてなくたってどんどん受け入れられちゃうというのが素晴らしい。なにしろベリー・ダンスなんてものまでがテレビで放送され、カルチャーセンターで講座が行われたりするんだから、現地人から見たら不思議な光景だろう。
 随分昔にあるイベントで様々なミュージッシャンが登場する司会をしたことがあるけれど、そのなかで、ウズベキスタンの楽器、ギターやバラライカの仲間と覚しき弦楽器である、を抱えてきて、ウズベキスタンの歌を歌った人がいた。もちろん日本人だ。原語で歌う歌なんだけれど、とにかく何を唄っているのか、皆目見当がつかない。なんでも壮大な平原を表しているといっていたから、モンゴルの歌にも通じるかもしれない歌だ。その彼がいうには彼は現地の民謡コンテストで優勝したというのだ。驚いた。日本人が!?ということは外国人が民謡のコンテストに出てきたようなものではないか。
 ゴスペルなんかだって、人口のたった1%しかキリスト教徒がいないこの日本で、なんでこんなにゴスペルを習っている人がいるんだろうかと、眉につばをつけてみていた。ひどい時はそんなゴスペルと称する人に、「いったいどこの教会で奉仕しているんです?」と聞いて大顰蹙を買ったことがある。
 とにかく日本人は何でもかんでも取り込んでしまう。それでいて、いざ現地の人が仲間に入れてくれといったら、どうするだろう。