ほぼ足りてまだ欲 その先

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つまらん帽子の話

 私は今やどこに行く時でも帽子をかぶっている。今はほとんどソフトフェルトや、木綿のハットをかぶっている。夏になるとパナマかこれまた布のハット。20代、30代の時はいつでもキャップだった。今から考えると所ジョージみたいだった。あの頃は髪の毛が豊富にあったからでもある。今や風前の灯火となって、キャップじゃなくてハットになった。米国に行った時に本物のSTETSONのかっちりしたビーバー・ファーが入ったハットを買ってひんしゅくを買ったものだ。
 最近できた若向きの帽子屋さんに行くと、これはもう爺に来てもらっても困惑するというくらいの若者向けばかりだけれど、昔からあって今でもどうにかやっている帽子屋さんには昔ながらのハットが並んでいる。それでも、自分好みを探すのは手間がかかる。そんな店に私くらいの年頃の爺が結構入ってくる。彼らは40代、50代の時には帽子なんて顧みることもなかったはずなのだけれど(その証拠にその頃そうした帽子屋に同じ年代の客は少なかった)、今や喜々としてやってきてはいかにも被り慣れていないという風情で頭に載せてみている。会社に帽子を被っていくことなんぞなかったばかりか、ゴルフ帽くらいしか持っていなかっただろう。ようやく自分の心の中に「みんなと同じ呪縛」から解き放たれる気持ちが芽生えてきたのだろう。
 たまさか冬の日に会社にソフト帽を被っていったらとても奇異な目で見られたものだった。だいたいは「何だ、あいつ気取りやがって」という目である。ま、確かにその気にならないと被っちゃいられない。そういう格好している奴は髪振り乱して仕事をしている雰囲気には見られないのだったな。
 ところが親父が若かった頃の写真なんぞを引っ張り出してみると、誰一人として帽子を被っていない奴がいなかったりする。特に夏なんぞは全員がパナマを被っている。そりゃ暑いのだから被る方が自然というものだけれど、あんな頃に良くそんなものをみんなで被っていたものだと驚くばかりだ。
 みんながやっていればそれが自然で、ただ一人がやっていたらそれは不自然なのだという不思議なお話である。